堀辰雄は夭折した作家だと思っている方が多いのではないだろうか。実はそうではない。彼は50代まで生存している。ということは、「結核に冒された才能ある夭折作家」ではないのだ。それが当てはまるのは一葉や啄木であって、堀辰雄ではない。 しかし、ではどうしてこの日本文学史上卓越した、透明な作品群を彼は描くことが出来たのだろう。伊藤整はその「近代日本人の発想の諸形式」(岩波文庫)の中で、「死」や「無」に認識を結びつける、というかたちで堀文学を捉えている。もちろん、当時結核は現代のがんのような致死的な病気であったから、結核の宣告を受けた堀が自らの生が有限であること、残された時間が短かったことを意識したことは事実だろう。ただ、それほど切迫はしていなかったとすれば、むしろ「死」の意識を作品形成に積極的に利用した堀の作家としての「勝利」ではなかっただろうか。そんなことを考えながらこれらの美しい作品を読むことはよいことではないかもしれないのだが。
ラーメンズ片桐さんの才能は認めているし、まず何よりもタイトルに魅かれ、一体どんな掘辰雄の世界が解釈されるのだろうと期待して観ました。結果は、まったく肩すかしを受けたという印象でした。 「細雪」以来、日本文芸の映像化はおおむね無難に行われてきていると思いますが、これは、明らかに今までになかった感覚の文芸映画であり、極論するとストーリーすらない。 主人公のナイーブで、もはや外気に露出してしまった神経が、耐えきれず発する呻きを執拗に追うというのが本作の趣向と思われました。 ある程度、堀、芥川を読み込み、両者のアンビヴァレンツな関係も一応理解しているつもりの私でもついて行けなかったので、原作を十分読み込んでいない観客にあっては、文芸映画としては、ほとんど作品の態をなしていなかったのではないでしょうか。 しかし、何か隠れた感性の息吹があるのかもしれない。ただ今の私にはそれが全く感得はできない。
映像の美しさはプロの技ですし、この冒険主義的映像を制作してしまったスタッフに勇気に敬意を表し、☆3つにします。 特に若い方、原作を読んでるいないにかかわらず,一度、この不思議な感性にトライしてみるのもいいでしょう。
私にとっても永久の大スター"百恵ちゃ~ん"です。 文芸作品の中でも少しおとなしい目かな…。 学生服の似合う友和さんと、清楚なお嬢様の百恵さんが 白樺の木々に囲まれた自然のなかでの純粋なプラトニックラブ…。 恋人を戦争に送り出した直後、はかなく命を落としてしまうヒロイン。 百恵さんのイメージなのでしょうか…?薄幸の美少女。 やっぱり少し物足りないかな
この夏公開される、宮崎駿さんの映画のヒントになった作品 ということで興味を持ち、堀辰雄さんの作品は初めて読みました。 とてもキレイな文章で印象に残るんですが、戦前の作品なので 療養生活や恋愛の具体的な記述は少なく、想像力を働かせて読む べきモノのようです。 この時代の小説が好きな方ならよい でしょうが、普段スティーヴン・キングや宮部みゆきのミステリー を好んで読む私には、歯がゆいというか物足りなさを感じます。 もっと若い頃に読めば良かったかな。 でも、この本を読んだおかげで、宮崎アニメが『風立ちぬ』を どのように料理しているのか、とても楽しみです。
40年ぶりに読んだ。昨年の夏、辰雄の記念館に行き、美しい村の舞台を見た。まだ当時のなごりがある。道造の詩の世界を見るようだ。辰雄の語り口についていけない人には読みにくいかも。今の話し言葉に近いことに驚くかもしれない。これを最初に読んだころの、淡い恋心が思い出されて、タイムマシンのようだ。
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