ウッディ・ガスリーはすで著作権のなくなった歴史的音源、 同様のコンピレーションはこれから世界各国で毎月のように発売されるだろうが本作は代表曲網羅で収録曲多くかつ廉価でなかなか良い、 以下「わが祖国」が実はアメリカ合衆国を歌った歌ではないことを記す、 全詩をのせて逐語訳しようかと思ったがとても長い歌なので特徴をあぶりだすために同曲をカバーしているブルース・スプリングスティーンが省略している部分を取り上げてみます、 以下は英詩と直訳
"This Land Is Your Land"
As I was walkin' 俺が歩いていると I saw a sign there そこに看板が見えた And that sign said no trespassin" 看板には進入禁止と書かれていた But on the otherside でもその裏側には It didn't say nothing! 何もなかったんだぜ! Now that side was made for you and me いまじゃそこ(看板の裏側を指す)は俺とお前のために作ったってでてるのさ
ブルース・スプリングスティーンはこの段落を省略して歌っている、 なぜ省略したのだろう?
曲名にあるlandは祖国・国と訳されている、はたして本当にそうなのか? ここで私達はなぜ進入禁止かを考える必要があるのだ、 説明するまでも無いがそれは私有地だからである、アメリカでは進入禁止の看板や表示は良く見かけるものの一つ、 だからno trespassingと同時にprivate property私有地と表示されることも多いのである、
ここまで書けばブルースがなぜ省略したかは説明無用のレベルだろう、 この段落を歌ってしまったらブルース・スプリングスティーンは個人の土地所有を否定する共産主義者だとアメリカで判断されてしまうからである、 この歌で歌われるLandとは国を指すのではなく具体的な土地・土壌を意味するのである、 すると曲名も自分の祖国アメリカを歌ったものではなく「この土地はお前の物」が正しい直訳となる、 それぞれの土地私有者の先祖が移民し開拓と数々の戦いの末に獲得した個人の土地そのものを指しているわけだ、 ウッディ・ガスリーはそんなアメリカの歴史を否定しカリフォルニアからニューヨークまでアメリカ合衆国のすべての土地は俺のものだしお前のものだとまるで原始共産制のような状態を賛美していることになる、
「わが祖国」が神に祝福された国であるアメリカ讃歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」を嫌ったウッディが作ったことは有名な話、 つまり当時のアメリカという国を呪う歌と解釈すべきなのである、
ブルースは通常、ウッディ版ならタイトルのリフレインから歌いだすのも省略してこの歌を心に沁みるアメリカ讃歌に変えてしまった(grumblingをhungryとも言い換えてより詩的な叙景にしている)、 ブルースは上記段落を省略して歌うことで自分達の祖国アメリカを愛し慈しみ、国としてのアメリカとそこに暮らす市民達を讃えているわけである、 ブルースが歌う時 ”ランド”という単語には土地と国の両者が混在したまさに「わが祖国」という歌になっている、 だからこそブルース・スプリングスティーンはMr.アメリカとして尊敬されているのだ、
(ちなみにブルースの有名な3枚組ライブ盤(デイスク2トラック9)では「ゴッド・ブレス・アメリカ」のアンサー・ソングでありアメリカの最もビューティフルな歌だとブルース自身が語ってから歌い始まる、 続いてネブラスカ・ジョニー99・リーズントゥビリーブ・ボーンインザU.S.A.と歌われるのが長いアルバムのハイライトだと思う)
ジャケットの、頬の肉が落ち、サングラスをかけてはいるものの明らかに表情のないディランと、タイトルの「ノー・ディレクション・ホーム(帰る家とてなく)」という言葉にこの作品の在り方が集約されているように思います。作品が進むにつれて疲労の度を増すディランが終わり近く、インタヴュアーに「家に帰りたい」と漏らす場面など、この時期のディランが「ドント・ルック・バック」で見られるようなイケイケで突っ走ってばかりいたわけじゃなかったことを物語ってくれます。こじつけになるかもしれませんが、「ドント・ルック・バック」が「振り返るな」と前のめりに走っていたのに対し、この「ノー・ディレクション・ホーム」は現在のディランが当時を「振り返」っており、そういう意味では対になる作品なのかもしれません。
ボブ・ディランの絶頂期は、1966年のヨーロッパツアー時だと思っています。前半アコースティック・ギターによる弾き語り、後半はバックバンドでのロック。このDVDにはその時の映像が、なんとカラーで、しかもクリアーに映っているのです。これまで、40年間、ブートレッグも含めても巷に出てこなかった映像。それが自宅で見ることができる
のです。でも、イギリスでは、結構やじられていたのですね。ロックに対するブーイング。ディランの疲れて、困った表情や言動も見事に捉えられています。もちろん、ディランの誕生から、66年までのヒストリーがメインであり、名監督マーティン・スコセッシですので、同時にアメリカの歴史も描かれ、レベルの高い音楽ドキュメント映画となっています。
「This Machine Kills Fascists」― この楽器は、ファシストを殺す 彼のギターには、そう書かれてあった。 長い放浪の人生は、実に多くの逸話と伝説を生み出した。 アメリカ中のハイウェイの橋の下はどんな寝心地か、完璧なリストを作ることができる。 ホテルのベッドでは落ち着かず、床で毛布にくるまって寝た。 食事に呼ばれて人の家に行くと、テーブルから皿を下ろして床に座って食べた。etc,etc・・・
ボブ・ディランが憧れた。スタインベックが悔しがった。 彼の名は、ウッドロー・ウィルソン・ガスリー。通称ウディ。アメリカのフォークソングを歌い伝え、遺した偉大なミュージシャンの一人。 本作は、ウディの自伝本「Bound for Glory」を映画化した作品だ。
大恐慌に喘ぐ1935年、テキサス州パンパ。ウディ・ガスリー(デビッド・キャラダイン)はしがない看板描きの仕事をしながら、妻と二人の子供と食うや食わずやの生活を送っていた。そんな最中、前代未聞の巨大な砂嵐がこの地方を襲った。空は真っ暗になり、部屋の中にいても人の顔が見えなくなった。時速110キロ以上の暴風で土地は滅茶苦茶にされ、作物は育たなくなり、その地域は「ダストボウル」と呼ばれた。 ウディは、多くのダストボウル難民と同じく、夢の土地と呼ばれたカリフォルニアを目指す。しかし、無賃乗車で列車を乗り継ぎ、ようやくたどり着いたカリフォルニア州境で彼が見たものは、夥しい難民たちのキャンプ。州当局は、難民たちを「オーキー(オクラホマ出身という意味だが、難民は十把一絡げにオーキーと呼ばれた)」と差別し、越境を認めなかったのだ。 ある時、ウディは難民キャンプで一人の男と出会う。オザーク・ビュール(ロニー・コックス)は、日雇い・安賃金でこき使われる人々に組合の結成を呼びかけ、トラックのボンネットをステージ代わりに民謡やプロテスト・ソングを歌っていた。すぐさま意気投合する二人。ウディが弾き語りができることを知り、オザークは自分のラジオ番組にウッディを誘う。弱き人々の立場に立ったウディの歌は電波に乗って民衆の共感を呼び、人気は急上昇。しかしスポンサーは政治色の強い歌を嫌い、圧力をかけてくるのだった・・・。
映画は、カリフォルニアで彼が最初の名声を得て、家族を呼び寄せ一時は安定した暮らしを送るも、権力への反骨、自由と放浪を愛する性ゆえに仕事と家族を失い、新天地ニューヨークへと旅立ってゆくところで終わる。 この映画で描かれるのは彼の前半生で、この後NYで黒人歌手レッドベリーや盟友ピート・シーガーらと出会い、影響を受け、さらなるウディ伝説を生み出してゆくことになる。 ウディの最大の功績は、多くの自作の歌のほかに、アメリカ南西部の膨大な数の民衆歌を歌い伝えた事だ。彼がいなければ、忘れ去られ消えていってしまった歌がどれほどあっただろうか。レッドベリーもまた同じように、黒人奴隷たちの民謡を歌い遺し、絶滅から救った存在として神格化されているが、生前はついに評価されることなく、貧困と闘いの中で死んでいったという。しかし、ウディは幸いにも、その晩年の'60年代にボブ・ディランたちが牽引したフォーク再評価のブームまで生き延びることができた。ハンチントン舞踏病という奇病に冒され、十数年にもおよぶ闘病生活の中にあってギターを持つことさえかなわなかったと云うが、その晩年はまさに生きながらの伝説となったのである。
ボブ・ディランは自ら「ウディ・ガスリーのジュークボックス」を自称し、ウディの歌を全て覚えたという逸話がある。彼の放浪のスタイルは、まさにウディの生き様への憧れなのだ。そして、ダストボウル難民を描いた小説『怒りの葡萄』で知られるスタインベックは、「私はあの小説を書くのに何年もかかったのに、あの若造(ウディ)は、たった数行の歌で全てを言いやがった」と悔しがったという。
本映画のプロデューサーに名を連ねるハロルド・レベンソールは、かつてウディのマネージャー。7年もの間、脚本に試行錯誤を重ね、ウディの全半生の2,3年間 ― つまり歌手・ウディ・ガスリーの誕生に焦点を絞る物語になった。 監督は、ニューシネマの中でも、弱者の立場から見た映画を多く撮ったハル・アシュビー。大恐慌当時の人々の、貧困に喘ぐ生活を実にリアルに再現、細部に徹底的にこだわった演出に感服する。
ウディ役の候補には、多くの俳優の名が挙がり(ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、そしてボブ・ディランらがこの役を切望した)、息子で歌手でもあるアーロ・ガスリーも自ら父を演じたがったというが、デビッド・キャラダインに決定。本人を知る人々からすると、小柄で、甲高い声でしゃべったというウディの実像からは、ノッポのキャラダインはかなりイメージがかけ離れていたというが、ウディ夫人の言では、キャラダインが発する独特の、「根無し草」的なオーラはウディを彷彿とさせる、との事。若い頃はコーヒー・ハウスで弾き語りをしていたというキャラダインは、自らギターを手に歌い、熱演。映画を観ている我々は、まさに彼こそウディではないかと思ってしまうほどの存在感だ。 映画には、生前のウディを知る人々がアドバイザーとして現場に参加し、音楽コーディネイターのガスリー・トーマスはウディの歌唱スタイルやしゃべり方などを細かく指示したが、キャラダインは一向に聞こうとしなかったという(笑)。ハル・アシュビー監督も、「我々はそっくりショーをやろうとしたのではない。我々の狙いはウディという人物が何をし、何をシンボライズしたのかを映像化することだった」と語っている。
映画の中でも印象に残るシーンに、ダストボウル難民たちのキャンプのシーンがある。アイルトンに、900人のエキストラを導入して作られた。古い家具やベッドなどが、ほとんど野ざらし状態。ほこりにまみれた人々・・・「ゴミ捨て場から拾ってきた粉袋や麻くずの袋、風雨に晒され錆ついたトタンなどで作ったひどい家」とウディが述懐した悲惨な様子が、息詰るほどにリアルに再現され、さらに名手、ハスケル・ウェクスラーの撮影が迫真の映像を生み出す。ドキュメンタリーで培った技術を生かし、まさにスナップ写真のように人々の表情が自然に写されている。このシーンは、ほとんどエキストラの人々が「暮らしている」ような状態を作り出して、ウェクスラーが気の向くままに切り取っていったに違いない。「Ready, shoot!」では絶対に撮ることのできない、カメラを向けられていることさえ気づいていないかのような、人々の気だるい表情は必見だ。 そして、無賃乗車をする「ホーボー」のマストアイテムともいえる蒸気機関車は、ウェスタン・パシフィックやシェラ鉄道の協力を得て数々の勇姿を見せる。難民たちが家財道具を積んだ、オンボロのオールズモービルたちの存在感にも震える。
もう、語りだせばきりがない映画なのだが、最後に原題『Bound for Glory』について。 これは、ウディが最初の自伝本を書いている最中に生まれた娘、キャシーに向けた言葉。第二次世界大戦が勃発し、社会が不安に包まれていた時、それでもウディは自分たちの未来にはグローリー、「栄光」が待ち受けていると信じていた。根無し草で、不安定な生活の中にあっても楽天的で、つねに弱き者たちの側に立ち、ギター一本で権力の理不尽に立ち向かった男。ウディ・ガスリー。その生き様は、迷走する現代、21世紀にあっても普遍的な人間的温かさに満ちている。
♪〜 この国はきみの国 この国はおれの国 カリフォルニアからニューヨークの島まで アメリカ杉の森からメキシコ湾の流れまで この国はきみとおれのために作られた
大きな高い壁が行く手をふさぐ 大きな看板が立っていて「私有地」と書いてある だがその裏側には何も書いてなかったぜ この国はおれときみのために作られた
誰もおれをとどめることはできない 自由のハイウェイを歩いていくおれを 誰もおれを追い返すことはできない この国はきみとおれのために作られた国
いかなる時代にも、繰り返し再評価されるべき映画。 廉価版での再発で、多くの人々に手にとってもらうことを願ってやまない。
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