四十七人目の赤穂浪士である寺坂吉右衛門は、討ち入りに参加しながらも、生き証人を残したいと言う大石内蔵助の要請で、切腹をせず生きながら得ます。
この本は、そうした寺坂吉右衛門の「死」よりも辛い忍従の過酷な半生を、四編の短編で綴って行きます。
そこには、足軽と言う士分でない身分が大きく影を落としています。
特に、討ち入り直後を描いた「仕舞始」に良く著されています。
この本の上手さを感じるのはその構成で、一応時代順に並んでいますが、宥免になった後、大石の娘可音の嫁入りで終わります。
そこで初めて「忠臣蔵」が終わったと、作者は言いたいのかも知れません。
その婚礼にはかつての浅野家の家臣が駆け付けます。
その描写が映像を見るがごとく感動的なだけで、あたかも大石が生きているかのような気持ちにさせます。
それだけに、寺坂吉右衛門と同様大石の密命を受けた瀬尾孫左衛門の切腹と言うラストは衝撃的です。
それだけ、「生きる」ことを使命付けられたことが、過酷だったのでしょう。
少なくとも<上>の途中までを読んだ限りでは、なかなか高杉晋作の魅力が見えてこない。だから、私は最初、本書を読むのを途中で辞めてしまった。
どうも自分の「知っている」高杉と違う気がしてね。
ところが二回目に読んでみて、その<上>の若干前振りな部分を過ぎてみると、これがあなた、おもしろいんだなぁ。
そうか、高杉晋作の、我々が「知っている」と思っている部分の多くは、後の世の創作だったのか、って納得がいった。
しかも、「実の」高杉もおもしろい。創られた像より、真摯におもしろい。
しかし、何よりおもしろかったのは、高杉の魅力を創ったのが、長州という藩そのものであることがわかって、これが実におもしろかった。
脱藩した坂本龍馬、最後まで藩主をだまし続けた西郷・大久保、らと違って、長州の面々は、藩主から丸ごと反幕革命に走った歴史の中で、いかに高杉が長州という藩に愛されたか。そして、彼の才能を育て摘まなかったか。
それが、側聞や創作を排除して、きちんとした史実から浮かび上がらせている本書は誠実で、きっちりと創られている。だらか、妙に固いのか、と言うともちろんそんなことはない。だって、相手が高杉なんですから、多少抑え気味にでも書かないと、はねてはねて大変ですよ
まだ<上>を読んだところですが、天才とは天に授かった才能であることがよくわかる話でした。
×「義士」 ○「テロリスト」
×「討ち入り」 ○「やくざの出入り」
×「忠臣蔵」 ○「吉良義央殺人事件」
×「時代劇」 ○「やくざ映画」
そう割り切ることができるのであれば、この「四十七人の刺客」はたいそう面白い映像作品といえる。市川崑監督が「溜息が出そうな物語」を「鳥肌が立つほど美しい映像」で巧みに描写している問題作。
池宮彰一郎の原作があまりにも素晴らしいので是非とも書籍でもこの作品を堪能していただきたい。
毀誉褒貶が激しいようだが、私は中井貴一の外連味たっぷりの怪演が好きである。きもい。
『最後の忠臣蔵』がウエットな物語だとしたら、こちらはドライな目でしっかり見つめた討ち入りまでの熱い年月を描いている。
討ち入りまでに大石は何をしてきたのか、色部、柳沢それぞれの攻防、それらが静かに静かに煮詰まってゆき、討ち入りの夜すべてを爆発させるような頂点を迎える。
読むこちらも、もう討ち入りで力尽きるほどの描写だった。
個人的には大石がなんと見事なことかと感嘆しつつ、その大石に煮え湯を飲まされる色部のぎりぎりとした歯ぎしり状態に共感してしまうことが多かった。
全てを計算づくで見る柳沢の徹底した権力者っぷりもなかなか。こういう敵役がいいからこそ、大石が活きている。
自分は歴史物が好きで池宮彰一郎氏の本は好きなジャンルの物が多くて、たくさん読んでいるが、作者は確かに資料、参考文献をよく調べているのが判ります。 しかし作品の中にこれでもか、これでもかと参考説明が多く、読んでいても何度も同じことの説明があるので、「しつっこいな・・」と感じるて 「先へ進め」 と読みながらも怒ってくる場合が多い。 この「平家」でも従来の源平物とは違った角度から語っていて斬新さは流石と思うが 作者が読者を馬鹿にしているのか何度も同じ説明をしている点に 作者の度量が垣間見える。
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