夢野久作作品を初めて読む方にオススメです。
『ドグラマグラ』よりもだいぶ読みやすく、 その中にも夢野久作の世界観はしっかりと存在しています。
商品の説明にある通り、「夢幻的なモノクローム映像」で描かれる、ある種の不思議な美しさに満ちた世界。
原作は読んでいないが、一つの映画作品として正しく成立していると思う。
見どころは、やはり、もしかしたら連続殺人鬼かもしれない男にどうしようもなく惹かれてしまう女の子の、
揺れ動く心情と、一種の狂気にも似た激しさ、だろうか。
男は本当に殺人鬼なのか、主人公は、いつ殺されてしまうのか──。
一瞬たりとも気の抜けない緊張感をはらみつつ、静かに淡々と場面が積み重ねられてゆく。
男を演じた浅野忠信もさることながら、主人公を演じた小嶺麗奈が秀逸。
心の空虚さを抱え、それゆえにこそ、あえて冒険的な、破滅的な道へと突き進む若い女車掌を好演している。
浅野忠信も、何を考えているのか分からない男の不気味さを、うまく釀し出している。
静謐な映像美ゆえに、いっそう緊張感が高まる。
映画好きには一見の価値あり。
「少女地獄」シリーズに含まれる三作ほか、短編3編を収録しています。 いずれも夢野久作独特の世界観や文体は健在ながら、ストーリーは筋を通し、終始一貫した形を取っています。ですから、ドグラマグラであまりの眩暈に襲われ、最後まで読みとおせなかった人でも気軽に夢野ワールドを体験できるのではないでしょうか。 私のお薦めはなんと言っても「少女地獄」中の1作、「何でも無い」。ある開業医の前にあらわれた、天才的看護婦にして美少女・姫草ユリ子。誰もが無垢なる彼女を愛し、信頼する。しかし彼女は・・・というお話。 この話のポイントは、虚構の世界を生み出し続ける姫草ユリ子という存在そのものが実は虚構である、という点でしょう。だからこそ彼女の生み出した虚構全ては無限に増殖しながら、姫草ユリ子という虚構を支え続ける、というメビウスの輪のような状態を呈することになります。 物語の冒頭、一通の手紙が告げる彼女の結末すらも虚構に彩られており、膨大に構築された虚構の「仕組み」が、私達を翻弄し続けるのです。
『ドグラ・マグラ』には章がない。おそらくは作品自体の構造のみならず作者の意図による演出でもあろうが、そのことが難解な作品をさらに読みづらくしている。上巻の半分以上を埋めている脳髄論、遺書、記録映像、新聞記事、等々は下巻に入っても続き、物語内の時間はしばらく停止したままである。ようやく話者がわれにかえり時間が流れ始めたと思ったとき、話者に話しかけてきたのはさっきまで同じ研究室にいたはずの法医学者若林鏡太郎教授ではなく、あろうことか一ヶ月前に自殺したはずの精神病学者正木敬之教授であった。彼によれば若林教授は嘘をついているのであって、今日は遺言書が書かれてから一ヵ月後の十一月二十日ではなく、研究室内のカレンダー通りの十月二十日であるという。さらに正木教授は自分と若林教授との戦闘状態を話者に説明し、どちらが勝つかはひとえに話者の記憶が戻るか否かにかかっているという。
それでなくても記憶を喪失して混乱しているのに、話者は二人の教授のあいだで翻弄されることになるが、それ以上に翻弄されるのは読者である。正木教授と若林教授のどちらの言い分を信じればいいのか? 話者である少年は何者なのか? 話者と瓜二つの少年の登場、正木教授による離魂病の解説などによって、謎は深まるばかりである。
普通のミステリーであればいわゆる名探偵が登場し、快刀乱麻あらゆる謎を一刀両断に解決してくれる。しかしこの作品はそうはいかない。名探偵はどこにもいないし、そもそも話者が精神病院にいる時点で、読者は話者の言葉さえも鵜呑みにすることができない。そして実際最後の最後で、読者は話者からも裏切られることになる。客観的な解答は最後まで与えられない。
解説でなだいなだも書いているが、この作品は失敗作であると思う。もっと短くシンプルに仕上げることもできたはずであろう。だがもしもこの作品が成功していたら、すなわちもっと短くシンプルに仕上げられていたら、おそらくこの作品はとっくに忘れ去られていたに違いない。原爆に破壊されたことによって今日まで生き永らえている原爆ドームのように、夢野久作の狂気に破壊されたことによって今日まで読み継がれている廃墟的な作品である。
「ドグラ・マグラ」という摩訶不思議なタイトルの小説の存在と
著者の夢野久作の名前だけは知っていたが、なんとなくずっと避け続けてきた。
でもこの度、「ドグラ・マグラ」ではなくこの本から夢野久作の世界を覗かせてもらった。
「ドグラ」には一種、警戒心を持っていたのに、短編集だからと、ちょっと油断したかもしれない。
比重の重い小さな金属をふいに手のひらに載せられて、
その小ささに釣り合わない重さにギョッとしたような時のような気分というか・・・。
そういう時って一瞬薄気味悪いな〜という感情を持ったりするものだが・・・。
この短編集に自分はそんなイメージを持った。
文庫のタイトルでもある「瓶詰の地獄」は、行間からどす黒く異様さが漂ってくる。
ほんの短い小説なのに、底なしの広がりをもっている。
この本からだけの印象で語ってしまうが、さて、著者の意図は??と考えると、
「読む者に人間の持つ狂気に気づかせること」、という点がどうしても浮かんできてしまう。
著者の創りあげた狂気の世界を共有しないと内容をより深く味わえないということに
読んでいるうちにいやおうなしに気がつくので、読み手は怯えながらもそろそろと
著者の提示してくる狂気の世界を受け取るはめになる。
著者の狂気の世界を共有する、させられる、ということがこの本の一番恐ろしくて無気味なところだと思う。
引っかかってしまった人はこれは縁だと思ってあきらめて(笑)
気合を入れなおして思い切って読んでみるしかないかも。
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