山咲千里さん、以前にトークショーで拝見したことがありますが 綺麗な人だったのでこの本を買いました。 この本を読んで、美肌とは化粧品でできるものではないな と思いました。 食事や体調との関係など思いもしなかったことがたくさん書かれていました。 中でもわたしはむくみやすいので むくみに関するところが面白かったです。 女性には読んで欲しい本です。 そして ファンとして嬉しかったのはやっぱり愛用の化粧品が書かれていたことです。 電話番号も書いてあるものもあったので、 欲しくなったら電話してみようと思います。
伊藤緋紗子さんと市川染五郎さんが寛容が態度がエレガンスだと 書いているのですが、女性の目男性の目からみて共通なこの 意見が大変参考になりました。
綺麗の魔術を読んで以来、美意識の高さに尊敬していたのですが、 これは、実際に千里さんが具体的に実行されている事を書いていて 参考になります。 私は特に、誕生日の前日に(か当日?)に”アライヤのスカートを履く”というのがいいなと思い、ベストサイズのパンツを買い、太りそうな時に履くようになりました。 戒めになってよいです!
作り込みがすごいです。CGを駆使してどうでもいいことを再現しています。内容がシュールなので1人で見るようにしましょう。
豪華と言う他ない役者陣による演技、洗練されたCG、水滴の大きさで着ぐるみの大きさが分からないように砂で表現するなど極限まで作り込まれた演出。どれもがハイクオリティーでありながら、華美にならず丁寧で落ち着いた表現に終始しており見ていて非常に心地よい。
前二作とのあまりの方向転換や、単に怪獣が町中で暴れたらどうなるかを描いただけの映画だという誤解、倉田など意味がよくわからない登場人物が出るなどの理由から、しばしば低評価を受ける作品だが、テーマ性と脚本のレベルは前作と比べ物にならないほど高い。前作までのガメラ、綾奈、倉田、長峰、のスタンスこそがストーリーの鍵となる。
前作までのガメラの主張は、敵は地球を滅ぼそうという悪であり、それを倒す自分は正義である。場合によっては人間も悪になりうる。
綾奈の主張は、自分は何もしていないのに家族を殺された。ゆえにガメラこそが悪であるということ。一般的な特撮作品における主人公は実はほとんどこの二つのどちらかのスタンスであることがわかる。
倉田の主張は、人間は明らかに正義ではない。ゆえに生きることは惨めで汚く、ギャオスに滅ぼされるべきであるということ。
長峰の主張は、生きて行くのに正義も悪もないが、生物は最後の瞬間までどんなに惨めでも生きようとするということ。
戦えば、必ず人は死ぬ。たとえ戦わなければ地球が壊滅するとしても、ガメラが殺した人間はガメラが現れなかったらもっと生き延びられたはずである(ワクチン接種で副作用を発症した人間は、将来病気にかかるはずの人間ではなかあったはずであるのと同じ)。つまり人間を救うためには人間を殺さなければならないという矛盾。ゆえにガメラは人間との交流を断った。だが、目の前の人間は助けたい。その矛盾。地球を守るために実はガメラが前作で地球環境を破壊していたことまで語られる。生きて行くことは周りを傷つけ地球を傷つけていく。倉田やギャオスを作った者はそこから逃げようとした。だが、ガメラや長峰、浅葱はどんなに惨めで自分が間違っていても、最後まで生きようとする。綾奈に必死で心臓マッサージを続ける長峰の姿、それを助けようとするガメラ(そこでも恐らくマナを消費し地球環境を破壊している)の姿がそれを象徴している。ギャオスを倒すためだからしょうがないじゃん!とは割り切らず、苦しみながら鬼の形相で戦うガメラは本当にカッコいい。綾奈は同じようでまったく違うスタンスである。自分は正義だと思っている。だから周りで死んだ者に気づけなかった。イリスが綾奈の記憶を読み取ろうとしたことにより逆に綾奈が封じ込めていた記憶ーそこにはガメラだけでなくギャオスもいたーを認識し、自らの過ちに気づいてゆく演出も本当に上手く設定を利用しており、素晴らしいの一言。
イリスの最後のあっけなさすら、生を否定した存在として描くための演出だったのだろう。この作品には無駄なシーンが一つもない。
エンターテイメント性については視聴者の嗜好にかなり左右されるだろうが、テーマの考察の深さとオリジナリティ、挑戦心、創造性、映像美、演出力の高さという意味では国内外問わずSF映画の最高峰。
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