不覚にも泣いてしまった。
実に久しぶりに観たが、やはり名作である事は言を俟たない。
正直、前半は拍子抜けするほどテンポ良く展開する。1000頁近い原作を1本の映画に
納める為か、登場人物もかなり減ってプロットも単純になり、初めて観る人でもすぐに犯
人の見当がつくのではないか。この辺りは、原作の持つミステリーとしての説得力を活か
しきれていない感は否めない。
しかしそんな微妙な失望感も、後半、親子の放浪場面が始まると、まるで一気に雲散霧消
してしまった。ここから先が、この作品の真骨頂といえる。
たとえ前半部がこのクライマックスを見せる為の長い序章に過ぎなかったとしても、最早
構わないとすら思えるのだ。
厳しくも美しい日本海の自然を背景に描かれる、二年間にも亘る漂泊の暮らし。
宿命、訣別、慟哭・・・言葉にするとそっけない。しかし力強い映像が切々と観る者に迫る。
全くセリフのない演出も効いている。
ここに到り、やはり本作が名作であったとの思いを新たにする。
少年が砂で作った器を、いくつも、いくつも、水辺に並べていく印象的な場面・・・
『砂の器』なるタイトルは、何を意味するのか。観終わった余韻の中で、そんな事を考えた。
三時間を超える作品だが そんな長さを全く感じさせない邦画の白眉の一本。
だれもが言うだろうが 俳優がそれぞれ入神の演技である。左幸子が演じるイノセントな娼婦、三井弘二が表現する人の良い置屋の主人、主人公を追い詰める伴淳三郎の咳こむ姿など どれも忘れ難い。敢えて難をつけるとしたら 若き高倉健の その「若さ」程度だ。
そうして 何と言っても 主人公の三国連太郎である。彼が見せる人間の業の深さには 本当の深度が伴っており 見ていても厳粛な思いに駆られる。
こういうすごみのある映画を邦画が持っていた時代があった。これに比べると 最近の邦画は やはり「軽い」のかと思ってしまう。僕自身が 邦画ファンであるだけに 最近の邦画も決して嫌いではない。「軽さ」の中にはそれなりの良い作品も色々ある。そもそも「軽み」とは 松尾芭蕉が唱えた俳句の味わいの一つである。
但し たまには このような「重い」作品があっても良いのだ。ワインに例えることが正しいかどうかわからないが フルボディの赤ワイン一本を一人で飲んだかのような 酩酊感と疲労感を感じる。
日本人が描いた「罪と罰」の話だ。主人公の善悪は最後まで定かではない。というか善でもあり悪でもあるのが主人公だろう。人間だれしも 善悪の二面は持っているが その「幅」の広さにおいて 本作の主人公からは「人間であることの哀しみ」が伝わってくる程だ。それが人間の業なのだと再度考えたところだ。
本作は、昭和の不朽の名作といっても過言ではない、松本清張の『点と線』を初めてテレビドラマ化したものである。かつて「映像化不可能」と言われた『点と線』であるが、最新のCG技術を駆使し、さらに豪華キャストを迎えて、ここにあらためて映像化が実現した。
物語は、福岡県香椎海岸で若い男女の死体が発見されたことから始まる。二人の死は心中か、それとも殺人か。捜査の糸口は目撃者だけが知るたった4分間の空白。悪が栄え、正義は滅ぶのか。時の流れの中で良くも悪くも変わらぬ人間の本質を垣間見ることができる作品である。
特に本作においては、キャストの熱演が印象的であった。ビートたけしはもちろん、高橋克典や内山理名、柳葉敏郎、夏川結衣など、長いセリフや夏場のロケに苦労しながら本作が完成したことを特典のメイキング映像から知った。全てのキャストがマッチした作品を見たのは本当に久々である。
なお、本作が原作を知らない人々に松本清張の作品に興味・関心を持たせ、本を手にとる機会を多く与えたことも高く評価したい。やはり原作の「良さ」を映像化から再び気づいてほしいと思う。
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