ビジネスのグローバル化が叫ばれる現在、アメリカの独占禁止法を知らないと痛い目にあいます。 しかしその概説書はないという現状の中ではかなり質が高いと思います。著者の持論である「法律条文では独禁法はわからない。ケーススタディをとことんやるしかない」という信念が貫かれていて、明快です。 しかし大陸法的な法学を学んだ人には抵抗があるかも。
韓国の友人がおり、「アジアでの大国は中国は横に置いて、やはり日本というのは近隣諸国から魅力の国だ」というコメントをもらった。そこで、はたと気になってレビューしたくなり、当著書を購入した次第。気になったのは韓国人が過度に猜疑心が強いというあたりの記述は、今後、韓国系の方と接するときの参考になった。まあ、近代歴史が歴史だから仕方がないとは思ったけれど。。。感謝!
筆者はこの本のあとがきで、『韓国経済の専門ではない方々に、韓国の経済、韓国の財閥において現在起こっていることをお伝えするため』に、『わかりやすさをモットーとし』て、『新聞報道と専門書の中間のような存在を目指し』たと書いているが、その意図は十分果たせていると思う。本書を読めば、韓国の財閥の沿革と盛衰、そして彼らを取り巻く環境の変化についての基礎知識は得られる。 ただ、いかんせん新聞や雑誌の特集記事より少し詳しめという程度なので、記述内容の「なまもの」度が高く、2001年8月の初版出版から3年も経つとすでに鮮度が落ちて、コンテンポラリーな情報とは言えないものも多い。韓国経済についてある程度の知識のある方や、韓国に限らず「財閥」という企業形態の功罪などに関心のある方には、食い足りないと感じられるだろう。個人的には、例えば日本の財閥解体の経験との比較や、他の発展途上国での経済力集中の問題との比較、コングロマリットや同族支配の企業におけるコーポレートガバナンスに関する議論なども視野に入れた論考があれば、より面白い本になったのではないかと思う。
開戦時のルーズベルト大統領は、大恐慌克服のためにニュー・ディールを政策としたことで知られている。1930年代には多くのニュー・ディーラーを生み出した。日本の占領は、その雰囲気の延長線上にあり、本書にもあるように将に「ニュー・ディールとしての占領」といえる。
日本に対する占領方針は、戦時中から起草され1945年11月に完成された基本指令がマッカーサーの下に送られた。本書が関係する経済についてもこの方針に基づくことになる。ここにハドレーは31歳の若さでニュー・ディーラーとしてGHQ・GSのホイットニー准将、ケーディス大佐のもとで経済政策に辣腕を振るうことになる。 ところで占領方針を立てるためにワシントンで戦時中、日本について理解を深めるとしたらE・ハーバート・ノーマン『日本における近代国家の成立』しかなかったと言うのが、凄い。そして「(日本を変えようという)試みの成功に最大の自信を持っていたのは、日本について知識がもっとも少ない一群の人々であった」と率直に語る。 ハドレーは占領後の潮の変り目の中で“左翼”として排斥された。名誉回復されたのは1967年のことであったという。
「財閥解体」の当否は別として、占領とは何であったかを知るための資料として、率直な実行者の記録である本書は貴重なものといえよう。
「国家総動員というとすぐに軍部独裁を思い浮かべる向きが多いだろうが、当時は産業資本や財閥もこぞって政策に賛成していたのである。」 「戦後になって「戦前は軍部の独裁であった」と繰り返す論者たちは、この「軍財抱き合い」という点を見逃している。軍部がいくら頑張ったところで、軍事物資がなければ何もできない。軍事物資を生産するのは民間の重工業企業である。財界の協力なくしては、軍部は何もできなかったのだ。この単純な事実をしっかり見る必要がある。つまり戦前の日本は財閥によって支配されていたのである。」(128) 「戦後になって独裁者呼ばわりされた東条英機は、木戸(内大臣)によって奏請されて首相になり、同じく木戸によって倒閣されているのである。戦前の「宮中」こそが日本の権力構造の中心であり、そこで政策が決定されていたことをよく物語っている。」(192) 現天皇にはアメリカ人の家庭教師がついていた。
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