内容としては今まで雑誌などで紹介されていたようなことが多く、改めて分かったことがほとんどなかった。
ヒースとマチルダとの日々について、ヒースのマチルダへの思いなどがなかったのが残念。
原文と訳に違いがあるように感じました。できたら原文で読んでみたいです。
ただ、ヒースのファンなら必要な1冊。
映画館を出た後、1週間ほどこの映画のことが頭から離れませんでした。その後原作も読みましたが、あれだけの薄っぺらい本の中で淡々と事実をただ語っているだけのような語り口でここまで人の心に取り付いて離れないアニー・プルーの小説に、言葉で表現できないそれこそ「心を持って行かれた」ような状態に陥ってしまいました。一体何なのでしょうか。この物語が読む人、観る人をここまで引き付けて話さない力というものは。。。
人は皆誰もが心に「もし帰れるならあの時に...あの場所に...」と思う時間や場所を持っていると思います。この物語の主人公であるEnnisとJackにとってそれが二人が最初の夏を過ごしたブロークバックマウンテンであり、その場所でのその時の思い出は彼らのその後の決して幸せとは言えない人生の中の決して忘れることの出来ないかけがえのないものとなります。その後20年間彼らはその思いを貫くことになりますが、貫くと言うよりむしろ出来れば断ち切ってしまいたいのにそうすることが出来たら本当に楽になれるのに、それが出来ない。そしてそのまま彼らの思いは続いていきます。お互いに自分が本当に愛している人間が誰であるのか分かっていながら、二人で生きることを決意することが許されない社会の中で仮面をかぶって生き続けていくこと人生がどれほど辛いものか...Jackの方はそれでもEnnisと共に生きていくことを選ぼうとしますが、Ennisにはどうしてもその勇気を持つことが出来ません。そんなEnnisをJackは最後に「一度だけ言う」と言って責めるのですが、目の前で涙を見せながらJackの存在があるから今の自分はこんな腑抜けのようになってしまっているのだ、と訴えるEnnisをJackは抱き締めます。結局どうするこもできないことが彼らにはわかっているのです。この場面での原作の文章が私の心に強く打ちました。(私は英語で読みました。)「何も解決せず、始まることも終わることもない」まま彼らはそれぞれの人生へと帰っていきます。そしてその後に悲劇は起こります。
この映画を観終わった時、そして本を読み終えた時、改めて人は失って初めてその失ってしまったものの大切さを知るのだ、と思いました。そしてどれだけ深く嘆き悲しんでももうそのことを取り戻すことは出来ないのです。そしてそれでもなお人生は続いていきます。どれだけ辛くてもその思いを抱えながら人生は続いていくのです。そう思った時、今の自分が当たり前にとってしまっている自分を取り巻く環境や人を大切にしなければいけない、と思うと同時に、人は生きれば生きるほど、切なさというものを積み重ねていくのではないか、と恐れにも似たような感情が私の中に起こりました。
最後に...でもやはりこれほどまでに人を愛し、愛される機会に巡りあった主人公達を(フィクションだとはわかっていますが)幸せであったのではないか、と思うのです。
洋画の傑作「ダークナイト」を見てから、バットマンにハマリはじめ 関連グッツや翻訳本などなかなか手に入らない現状があったりするわけです。 だから「ロング・ハロウィーン」が手に入って本当にうれしいです。 バットマンの翻訳本はプレミア価格がついていたりして、なかなか入手できないので 店やアマゾンに売っているうちに買うのが吉なのでしょう バットマンワールドが映画だけではない魅力的なものであると気づく事ができると思うので。
忘れもしない2008年8月9日。前日、テレビ放映していた「バットマン ビギンズ」を観るや否や、この続編は映画館で観なければ…!との強い衝動に駆られて、翌朝自分は一人で映画館に直行していた……。
客入りも上々。貯まったポイントを使って「ダークナイト」を無料鑑賞した優越感は、見終わった後により一層強くなった!
こんな凄い映画、、タダで観るなんて罰当たりだァ、金払うか とまで思わされてしまったのをよく覚えている…。 それほどまでに思い入れのある作品がこのダークナイト。 ブルーレイを買ってから一体何度観たか。
この作品の素晴らしきは他の方が語り尽くしている通り。 二転三転する濃密な脚本だったり、はたまた一流のキャストたちの鬼気迫る演技であったり…。 勧善懲悪に留まらない、善悪の在り方やダークなヒーロー像の追求などがこの作品に只ならぬ緊張感と雰囲気を醸し出していることも最大の魅力だと思う。
暴力という正義を行使するバットマンが如何なる最後を迎えるのか…。
あの日から4年経つ2012年… 「ダークナイト ライジング」でその結末をしかと目に焼き付けたいと思う。。
ホラー調のバッドエンドです。
犯人の正体は、前作の解説にも書かれていたことと、犯行に使われたもの、誰が犯人ならドラマチックかを
総合すると何となく想像していた希望的観測と一致しました。半分はほとんどカンでしたが。
しかし台詞が曖昧な表現が多いのと、エイプリルフールにリドラーが殺されなかったことについては、違う意見もあると思います。あと犯人の動機も曖昧だし、何故曖昧かというと犯人の
正体がかなり読者の意表をつくようなものでして、この人物なら絶対読者が驚くだろうという
仮説から成り立っているからです。あとトゥーフェイスの台詞と最終章の犯人の台詞も、解釈の余地がたっぷりあります。ですから最後まで読んでも、ちょっと納得できないです。
内容の大まかなテーマは巻末のプロットに全て書かれています。
ローマン帝国の崩壊、古きマフィアの末期、それらに代わってイカレた「スーパーヴィラン」がゴッサムを跋扈するまでの過程。
バットマン、ゴードン、デントの三人の結束の破滅、そして深まりゆくキャットウーマンとの関係。中でも一番の悲劇がトゥーフェイスです。その誕生だけでなく、その誕生がもたらしたゴッサムの永遠の闇の始まり、そして最大の悲劇である最終章のシーン。イヤーワンでゴッサムを牛耳っていたローマンがホリデイ事件に業を煮やし一線を越えフリークスを野に放った結果、自滅していく様が描かれていきます。
プロットを読めば誰もが分かる、「ダークナイト」への影響。これはダークナイトでやっているテーマそのものだったんですね。これほどまで影響を与えているとは。
三人はかつてゴッサムを救うためにローマン逮捕を誓い合った。そしてさらなる地獄を招いてしまいました。
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