挿入歌『夢中人』で始まりテーマ曲『白昼夢』で終わる。どちらもアジアの歌姫フェイウォンの歌。全体的に伸びやかで明るく、映画の雰囲気がぎゅっと詰まった感じ。クランベリーズのコピーである『夢中人』もオリジナルに比べて明るい色付けでおしゃれなアジアを感じさせてくれます。必聴です。
これは一瞬を切り抜いた映画だと思うのです。 映像は実に写真的に、もちろん映画ですから流動しているのですが、ワンシーン、ワンカットが映し出されています。著名なフォトグラファーが映し出した作品世界を彷彿とさせます。勘違いして欲しくないのは、これが写真に対する映画の敗北、という意味ではないことです。動き流れる映画の中で、それにも関わらず一瞬を切り抜いてみせるのは非常に卓越した才能だと思います。 そして、役者たち。ご存知のように豪華なキャストが揃いました。 しかし、これは一つの危険性も孕んでいました。「映画が映画になる前から映画になってしまう」という危険性です。 そして、豪華キャストというのも調理の仕方が難しいものです。カーウァイ監督は、「線ではなく点で撮影」することによって、それを克服することに成功しています。 つまり、こういうことです。 役者たちが力を合わせ、協力しあうことによってよい作品を作ろうとしたのではなく、個々の輝きを最大限に発揮することに全身全霊を傾けた結果としてよい作品が出来上がるように仕向けた、ということです。 豪華なキャストたちはお互いにそれほど接触しません。ワンシーンにキムタクとトニー・レオンとフェイ・オンとチャン・ツィィーが同居することはありませんでした。 この映画は、美しき点の連続であり、それは決して線ではない気がします。ストーリーもさることながら、ただただワンシーンワンカット、一瞬一息を楽しんで観ればよいのではないかと思います。
ほかの方も書いていらっしゃいますが、王家衛監督の映画でよく使われています。
聴いていると映画のシーンが浮かんできて、気分は映画の世界へトリップしそうです。
Quizas Quizas Quizas(Nat Cole King版)、Green Eyes ・・・花様年華
Perfedia、Siboney・・・2046
ほかにもあるはずですが浮かびません。
マイ・ブルーベリー・ナイツの発売記念での再発売。 とても嬉しいです。 特典ディスクが欲しかった。
王家衛監督作品としてというよりアジア映画として記念碑的な作品です。
実際、観客の目に映る物語の舞台は香港から途中でフィリピンに移動し、
また劇中人物の台詞や使用言語からマカオや上海などアジアの諸都市が連想されます。
更には、香港を代表する明星たちを起用したため、
どのキャストにもそれぞれこの人を主役にしたスピンオフも
見たいと思わせる魅力があります。
特に前半はマギーに片思いする警官、
後半は船乗りに転身しヨディに再会する役を演じたアンディ・ラウは、
破滅的な人生に半ば自己陶酔している主人公ヨディを一蹴するくだりで
主人公とほぼ等量の重みを持って観客に迫ってきます。
レスリー・チャン演ずる主人公ヨディは身勝手で残酷ゆえの悪魔的な魅力があり、
マギーやカリーナ・ラウが扮する女性たちやジャッキー扮する友人ばかりでなく
観客をも魅了します。
彼の語る「脚のない鳥」の話は彼自身の象徴であると同時に
聴き手をも掴みどころのない不安に陥れる魔力を備えており、
この作品では両性具有的なレスリーの雰囲気と
魔性的な役どころが一分の隙もなく邂逅しています。
しかし、その一方で観客の冷静な感慨としては、
ヨディの設定も台詞も物語的な装飾があまりにも過剰で気障っぽく
本当には共感し得ない感触を受けざるを得ないので、
アンディが演じた役はそうした観客の現実的な視点を代弁し、
「脚のない鳥」の生き方を相対化する役割も果たしています。
こうした視点を明確に入れている点に後続の作品にない清新さを感じました。
また、登場人物のモノローグで感情を説明する手法がこの映画では多用されており、
主人公の実母のモノローグまで入れたのは少し余計に感じましたが、
漂白していく主人公を巡る切ない視点を新たに明示したと考えれば了承できました。
「花様年華」「2046」へと続く王家衛映画の原点となる作品です。
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