彼方の光を聞いて涙が止まらなくなりました。すばらしい!
前作『ハンニバル』が著者本人による続編封じとも思える結末だったために、もう続きはないと思われていたこのシリーズが、最近流行の「プリクエル」として復活。おそらくは映画化の話が先行したのであろう、前作の映画版完成の際に言われていた「次は日本が舞台になる」という噂を意識したのかしないのか、『キルビル』ばりの勘違い和風テイスト満載の珍作に仕上がっている。肝心の物語も、前作でちらりと登場した妹のミーシャが殺される場面を膨らませたような序盤はまだいいものの、その後は成長したハンニバルによる復讐が何のひねりもなく描かれるだけ。著者の過去作に比べると内容も本の厚みも格段に薄く、著者本人による映画のノベライズといった位置づけか。
いつもながら、淡々と突き放した書き振りです。 「生きることがイヤで仕方ない」といった風情の 主人公ダミッポスが巻き込まれる、愚か極まりない戦争… 作者の絵の持つ独自の厭世観が、作品とマッチしています。
かなりの豪華キャストは良いのですが、この手の映画は内容がお粗末な場合が多くこの映画もその部類に入ると思います。ウィノナ・ライダーがかなり可愛いので彼女のファンなら買ってもいいかも?
レクター博士は、「羊たちの沈黙」で、自分を原因と結果という因果関係の中で理解されるのを拒否した。しかし、著者は、本書で、レクター博士の幼児体験を明らかにする。これを、レクター博士が超然とした悪でなくなってしまうとして残念がる見解もあるようだが、むしろ、これは、レクター博士も決して例外ではあり得ない、という著者の主張だろう。
桐野夏生氏は、文庫版「レッド・ドラゴン」の解説の中で、それでも、レクター博士の食人の理由は明らかではない、という。もう一つ、決定的な理由を挙げるとしたら、これでしょう。――美食家だから(笑)。きっと、レクター博士にとって、他人はただの動物性蛋白質で(幼児体験がそれを裏付けるわけだが)、こいつの胸腺が美味しそうだ、と思ったら、食べずにはいられないんだろうなぁ。
それにしても、レクター博士の生い立ちまで明らかにしながら、彼と対峙するヴァージャーは、ただの滑稽な骸骨にしか思えない。クラリスと対峙するクレンドラーも、「羊たちの沈黙」ではチルトン博士の心の孤独まで丁寧に描いたトマス・ハリスにしては、あまりに表面的な人物造形ではないだろうか。
細部の描写が非常に面白くて、そのときは夢中でページをめっくても、全体的な読後感に何となく物足りなさが残るのは、そういうところに原因があるのかもしれない。
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