表題になってるお話 わずか10ページばかりの章なのですが これに、たいへん感銘を受けました
『俗にいう「いい人」とは、どういう人であるかと言うと 今までは ”ああしてはいけない、こうしてはいけない”と自分を反省し 何をするにも一寸でも曲がってると、思い切って踏み切れぬような人のことを言ったわけです けれど、私の教えの中では、こういう人を「いい人」とは言わないのです 何故かといいますと、自分の生命の自由を狭めていて、自分の生命を生かさないからです。』
『反省と言うのは、あぁ悪かったなとかえりみて、パッと改めればいいのですよ。 それを大概のいい人と言うのはくどくどしている。あんまりくどくどしい(笑)』
『”お前の心が悪いのだ”と、今までの宗教はやっていたのです。 それは初めはいいのですが、それに習慣づけられ慣れると、人を見ると、 ”あの人はああだからこうだ”、 あるいは自分のちょっとした悪を見て、”ああ、これは・・・”とやる。 いちいち面倒くさい。 自分や人をいじめてばかりいる。 みんなを暗くさせて、不機嫌にさせてしまう。 それで神さま神さまとやったって、そんな神さまはなんにもならない。 それでは神でも仏でもない、業想念です。』
『人類が人類が〜、といって、人類の幸福を想っている人があります。 それでも、いつも暗い顔をしている人がある。 暗い顔をしているだけ、人類のマイナスになるのです。』
『要するに、朝から晩まで気持ちが明るいということは 汚れが少ない、業が少ないということなのですよ。』
『悪をつかんではダメ。 悪は間違った想いの消えてゆく姿。 本当の自分とは何か。上機嫌の自分です。 明るい自分、柔和な自分、光り輝いている自分です。』
いや〜、良いこと言われてますね
この本には、全ての宗教のエッセンスが詰まっている。宗教・宗派を超越して、万人に真理を伝える書である。『世界人類が平和でありますように』の祈り言を提唱した著者による、現代版の聖書・仏典と言っても過言ではない。この本を読めば、各種の宗教的疑問が解消されることでしょう。
かなりわかりやすく書いてあります。僕は小さい頃から救世教の信者なので、我即神也の考えにはかなり抵抗があります。生きていた頃のイエス様が好きなのですが、この宗教の五井先生もイエス様{ヨハネも}がお好きなので、安心してます。この本は、知り合いの方から薦められて読んでます。僕は、宗教の考え方とか好きなんで、色々読んでます。なので全ての宗教を否定しません。ヒンズー教のあの熱心な信仰を見て、違うとは思えません。最終的に全ての宗教は、繋がってると思います。信じていれば、全ての人が救われると思います。この本は内容が濃いんで、理解に時間がかかると思います。
「空即是色」を独自の視点で捉えています。納得いきました。 これまで「五蘊皆空なりと照見」することが、どうして「一切 の苦厄を度す」ことになるのか、誰の解釈を読んでもよくわか らなかったからです。ありがとうございました。
そして、この「空」になることこそ宗教の極意であり目的なの ですが(イエスの「み心のままに」、老子の「無為にして為す」 親鸞の「自然法爾」等も同じ事を言ったもの)、自力ではなか なかにそうなれるものではなく、たゆみない守護の神霊への感謝 ・全託と消えていく姿での世界平和の祈りという他力の方法を、 現代において一番安全で確実な道、というより唯一の道として説 いておられます。
なお、経文講義ではありません。読みやすい冗談たっぷりの講話 集です。
世界人類が平和でありますように
神(ほとけ)とは、人間とは、死後の世界とは、人間の生きる道とは・・。 古来さまざまな宗教がそれぞれの立場でこういった事を語ってきたけれど、全てを包括してこれほど詳しく述べている書は、他に例を見ないのではないか。 神さまは一つ、根っこは皆同じ。宗教も人もすべて一つにつながっているのだということが、これを読めばよく分かる。 こころの財産として、一読をお勧めしたい。
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