子どもが小さい頃、アニメ「きかんしゃトーマスと仲間たち」(原題:Thomas the Tank Engine and Friends)をよく見た。富士急ハイランドにあるトーマスランドにも何回か足を運んだ。
その「トーマス」の原作者である、イギリスの牧師ウィルバート・オードリーの足跡を追ったのが本書である。
ウィルバートは、病弱な息子クリストファーが寝るベッドの傍らで機関車の創作物語を語って聞かせた。これがトーマスの原点である。
各々の機関車や客車に顔が付いているトーマスというとファンタジーなイメージがあるが、鉄道好きのウィルバートは、リアリティにこだわったという。
トーマスの物語には、やたら脱線や衝突が起こる。これらはすべて事実に基づいているという。ウィルバートはイギリス国内だけでなく、アメリカ、インドなど外国の鉄道の事故も題材にしていたという。
さらに、ウィルバートの「要求するリアリティにイラストレーターが応えられなかった」ために、26作中、5人ものイラストレータが交替したという。
ウィルバートが布教活動のためにマン島の教区は「ソドー&マン」と呼ばれていた。そこで彼は、機関車たちの楽園の島「ソドー島」を創作した。「島があるからには、鉄道だけでなく、歴史があり、暮らしている人がいるはずであると考え、島の歴史や、そこに暮らす人物の来歴まで創作してしまった」(121ページ)という。
こうしたリアルな裏付けがあるからこそ、トーマスは世界中の子どもから愛されているのだろう。
テレビ放送を回ごとに狂歌風に唄ってる、まあ変わったアルバムですね (^▽^笑)。 でも放送を見た人間は思い出すと (⌒ー⌒)ニヤリとするかも。 OPの 『なんかアリかもね』は放送で一番は知ってましたがあれが鉄への入り口だとすると、段々深みにはまっていくサマを唄った二番には笑ってしまいました。最終パートはもう手遅れになったサマを唄ってます ((((^Q^)/゛ギャハ
●人の話を聞かない。
●自分の価値観を押し付ける。
●他人への思いやりなど皆無。
こんな人、実在するんですね。横見浩彦氏。40歳(当時)。
これは、スポーツや音楽などと違い、他人との交流なしに没頭できる、鉄道という趣味にのめりこむあまり、言葉使いからなにから人間性、社会性を身につけぬまま中年になってしまった男の生態図鑑ですね。
大人げない言動、服装、髪型からは、実直さ、清潔感が感じられず、外見のみならず、本当に気持ち悪い男だと感じました。ホラー漫画ですよ。
菊池さんは、一般人から見たらいかに異様な人物、行動であるかを分かりやすく描いています。
特に「思いやりがない」は強烈で、編集担当氏も、この男の生き様がコンテンツ=商売=になると、確信犯的に門外漢の女性漫画家を生けにえのようにあてがい、知り合って間もないのに、食事の時間さえろくにない、真夏のローカル線膳駅下車や大回り、夜行の普通列車での東京から鹿児島への同行に追い込みます。
40歳といえば、職場、家庭の中核として、部下や子供の教育にあたっているものなんですけどね。
ご当人は、少年の心を持ち続ける万年青年のままでいらっしゃるようですが、おそらく鉄道関係以外の本や映画なども見てないでしょうから、成人男性としての立ち振る舞いがどうあるべきか、どう見られているかという意識もないでしょう。
学校や職場の後輩どころか、子供の頃から、弟、妹、おじいちゃん、おばあちゃんの相手などもしたことないか、拒否して鉄道に熱中していたんでしょう。
同年代かそれ以下の鉄道会社員が、日々厳しい環境下で設営から維持・運営に尽力しているのに、氏は据え膳のお客様の立場にも関わらず、まるで自分の手柄のように「でしょでしょ」連発。
作中、横見氏は、オタク呼ばわれると激怒していますが・・・、えぇ、突き抜けていますとも。
趣味ですべてを見失っている人を、鉄人だの趣味人とは呼びたくないです。
印税で彼に利することのないよう、飲食店で読みました。
第5旅で紹介された岩泉線は近頃廃線が決まってしまったようだ。まさに辺境にあるこの駅は大変山深い地にあるので、秋は山が燃えるような紅葉が大変美しい。廃線の前に、是非とも訪れたい場所である。
1巻といい、前シリーズとの落差を嘆きたい気持ちは分からないでもないが、そんなに「新」を叩いてどうするのか。
あまり「素人」でもなくなった菊池さんでは、素人くさい驚きや発見が見られなくなったという側面もあったのではないか。
だから、また別の視点でこうして鉄道の魅力を発掘してくれる若い女性が現れたことを、私たちは歓迎してもいいと思うのだが、どうだろう。
温かく見守ってるうちに案外化けてくるかもしれないよ。
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