有森博は90年代から活動歴のあるピアニスト。東京芸大大学院卒業後モスクワで学び、帰国し日本に生活の基盤を 戻した後も頻繁にロシアと日本の往復を重ね、特にロシアものの優れた演奏に定評のある人である。
今までに7枚の録音盤を発表、最近はカバレフスキーの秀逸な連続録音盤で知られる彼が、ロシアものの新たな録音 レパートリーとして選んだのがチャイコフスキー。本作プログラムのメインに据えられたのがピアノ曲集「四季」である。
音楽月刊誌の出版社による、毎月その月をイメージするロシアの文豪達の詩をテーマにした楽曲の楽譜を雑誌に掲載 したいという依頼を受け、12ヶ月を通し描き下ろされた12のピアノ曲は、技術的にはそこそこの難しさに収めながらも、そ の美しい響きからはロシアの厳しくも豊かな情景が伝わるもので、彼のピアノ曲の代表作の一つでもある。
本盤で久しぶりに「四季」を聴いたが、決して長くない1曲の中に実に大きな音の起伏と美しさが閉じ込められていること を本盤の演奏から再発見した。これらの魅力を引き出すのは実は音楽表現の上で結構難しいことだと思う。 有森氏は良く歌う演奏により旋律の美しさを強調する一方、フレーズの纏め方から音色の響き分け迄を丁寧に処理。「 秋の歌」での二旋律の絡みや「クリスマス」でのワルツのテンポの揺らし方等随所に発見のある演奏だ。
彼の持つ技巧の冴えを堪能できるのが、終盤におかれたチャイコフスキーの弟子・パプスト編曲による師のバレエ音楽 「眠れる森の美女」、歌劇「エフゲニー・オネーギン」二種の演奏会用パラフレーズである。 元々オーケストラで演奏することを意図したものを1台のピアノ用に言わば強引に持ち込んだ為様々な技術的困難を伴 うが、「演奏会用」と銘打つ通り華やかな演奏効果をあちこちに施した創りは弾く方も聴く方も楽しめる。 特に有名曲「ワルツ」をソロピアノ用に置き換えた「眠りの森の美女」パラフレーズは優雅なことこの上なく、演奏者の確 かな技巧によるダイナミックな演奏は心地良い高揚を与えてくれた。
小さな世界に多くの起伏と美しい音を閉じ込めた、チャイコフスキー小曲群の豊かさを再認識させる優れた演奏である。
有森博によるロシアバレエを取り上げた一枚。 「ペトルーシュカからの三章」 のだめカンタービレなどでも取り上げられ一躍有名になったが、その難易度の高さが有名である。 最初から快速で突き進んでゆくが、とても丁寧に音を弾き分け、多彩な音色を出している。 難易度が最も高いとされる終章でもひるむことなく進んでゆくが、その表現力にただただ圧倒されるばかりである。 最初の一音から最後のグリッサンドまでとてもぞくぞくするような演奏で、技巧派の有森にまさに円熟期を迎えていることをうかがわせている。 続く「くるみ割り人形」からの演奏会用組曲は、チャイコフスキー自身が編曲・構成したものではなく、プレトニョフによる編曲である。 チャイコフスキーの抒情性を見事に浮かび上がらせ、こちらも素晴らしい演奏である。 他のプロコフィエフやショスタコーヴィチの演奏も有森の多彩な音色が魅力だ。 これだけバレエ作品を集めたCDもかなり珍しいが、内容、質、すべてにおいて優れている。他に類を見ない快作だ。
1990年に開催された第12回ショパン国際コンクールで最優秀演奏賞を獲得した有森博であるが、その後ショパンの作品にこだわらず、ロシアピアニズムの道を追求しはじめる。1996年からおよそ3年をかけてラフマニノフのピアノ独奏曲全曲演奏会を成功させるという快挙を果たした。このアルバムはその成果を象徴するスタジオ録音で2000年に収録されたもの。
ラフマニノフの練習曲集音の絵(作品33の8曲と作品39の9曲)の全曲を収録したアルバムは意外に少なくそういった意味でも貴重である。レスピーギが作品39のうち数曲にオーケストレーションを試みたことがあり、その際ラフマニノフは各曲のイメージについて、第2曲「海とかもめ」、第6曲「赤頭巾と狼」、第7曲「葬列」、第9曲「東洋風の行進曲」とその曲想を簡単に解説したといわれる。
有森のピアノはここでも雄弁の一語につきる。しっかりと大地に根ざした上で、呼吸の深い音色で、かつ過不足ないスピード感を維持している。これらの曲はラフマニノフらしい土俗性やピアニズムか様々に入り混じるものであるが、有森はそれらの楽曲に見事な構築感を与え、楽曲としての必然性を聴き手に見出させる。そのことによって聴き手は、曲の魅力をきちんと受け取ったという手ごたえを得ることができる。ことに作品33の最後の3曲は究極ともいえる完成形の手ごたえをもっていると思う。こうなるとぜひ他のラフマニノフの曲も録音してほしいと思う。
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