後藤田正晴ほどの著名人について一市民に過ぎぬ評者が今更あれこれ説明する必要は無いと思うものの、一応念のため。彼は東京帝大卒後、旧内務省に入って後に警察庁長官にまで昇り詰め、更には官僚トップたる事務担当内閣官房副長官をも務めた、官僚中の官僚であった。また政界に於いては、国家公安委員会委員長、内閣官房長官や副総理・法相等をも歴任している。経歴から分かる通り、常に戦後の権力中枢、自民党政治の中心にいた人物である。警察及び法務検察、それぞれの最高責任者を務めた事から、一般には、タカ派の官僚政治家と認識されている事であろう。
一方で、主に岸信介元首相に連なる、戦前回帰・復古主義傾向の強い、極端に右寄りの勢力とは一貫して一線以上を画し続けたのであった。或る意味では時代錯誤的なこの勢力が、現実を無視した、観念的で非現実的な主義主張に陥り易い傾向があり、故に国内外に悪影響を及ぼしかねない事を後藤田がよく理解し、また危険視していたためである。皮肉な事に、彼の官僚・政治家人生に於いて常に傍らにあったこれら国民統制色の強い、反動保守的右派の観念的非現実的主義思考様式は、彼が警察官僚になって以来長年に渡って対峙し続けて来た左派陣営のそれと共通するものであったのである。
後藤田正晴はリアリスト、それも良い意味での現実主義者であったと言えるであろう。勿論、水準を遥かに超える知性と豊かなバランス感覚に裏打ちされた上での現実的思考の出来る人物としてである。だからこそ彼は、対立する陣営から、警戒されると同時に敬意をも払われて来たのである。
評者は旧版以来の愛読者である。本書は、良き現実主義者こそ良き理想主義者たり得る(逆は極めて難しい事に違いない)事を教えてくれる貴重なものである。一方的な後藤田賛美にも後藤田批判にも偏らずに客観中立的な評伝に徹しており、多くの有益な示唆を与えてくれるであろう。後藤田正晴が亡くなってまだ間もないが、彼の様な人物こそ、今求められる人間なのではないかと考える。その事を惜しみつつ、本書を広く御推薦申し上げる次第である。
カミソリと恐れられた政治家 故 後藤田正晴氏のインタビュー形式による自伝だ。
このインタビュー(オーラル ヒストリーというらしい)は、数十回にわたり事前に質問事項
を後藤田氏に渡しておき、インタビュー前までに、その記憶の整理をして望んでいる。
ここから見えてくる後藤田氏は、”カミソリ”という非情なイメージではなく、中立公正に職務にあたる官僚のイメージの方が強い。
もともと、彼は自治省、警察庁の人間だ。
目的が決まれば、その遂行能力は抜群だ。
もともと主義主張はぶれることはない。
ぶれる人間を信用しないし、評価もしない人だ。
そのうえ、道理にあわないことをとても嫌う人でもある。
そのため、利益や役得で、主張を変える政治家からは嫌われる。
だから、”カミソリ”と言われたのだろう。
また、彼の人間観察力はおもしろい。
一般的な政治家のイメージとは異なる等身大の政治家の本当の姿を語ってくれる。
例えば、竹下登氏について
”言語明瞭、意味不明”と言われたが、後藤田氏は、これほど他者に反感をもらわず、
目的をいつのまにか達成する政治家はいないと評している。
官僚から引退するまでのヒストリーを語っているので、個々のエピソードの深堀がもうひとつという気がする。
が、後藤田氏の常に信念にそった発言、行動は、歴代の内閣が重用するというのが、わかる気がした。
昭和史に残る大事件を数々担当してきたコンビの暴露話かもしれない。 佐々氏にとって、危機管理ができない、上司として全く信頼できない人々は実名で晒されている。そこが好き嫌いの分かれるところだろう。
後藤田氏が警察庁長官や官房長官だった時に、部下として仕えた時の記録を軽妙な筆で語る。 時には権限を超えて安全保障・危機管理に奔走する佐々氏、決断力を持ってそれを指揮する後藤田氏、相互に確かな信頼関係と愛情があることがよくわかる。
佐々淳行氏の著作といえば危機管理の印象があるが、上司として組織のなかで如何に振る舞うかという観点で読める本書も面白い。
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