この映画は、反戦、広島といった要素は直接的には関係ないと思います。「生VS死」、つまり、「体験したことVS見聞きしたこと」の間の埋めがたい溝。本人にとっての体験は、他人にとってフィクションであり、想像することはできても理解など出来るはずがない。私達が死を想像することができても、理解できないのと同じです。生きている人間は誰も死を体験していないのですから。(笑)しかし、もし、愛する人の死を体験することで自分も生きながら死んでいるような状態になることは死を意味し、強烈に惹かれあう異性と一緒に過ごすのは生を意味すると、、。強烈に惹かれあい愛し合うということは、物理的に生きているという次元から、精神的に生きているという次元に変えてくれると、月並みに言えば男女間では愛こそが至上であると、、、そして愛そのものは、幸福も不幸も持ち合わせているが、それこそが「生きる。」という意味だと、、。それを、記憶と忘却という言葉のフィルターを通して語っています。冒頭での広島に関する会話と、我々が日本人だからどうしても日本人俳優の方に主観を持っていきがちですが、映画の主観は主人公のエマニュエルの方です。彼女の過去の恋愛を岡田英次が聞くシーン辺りから、映画の主観は、彼女の方に変わります。日本人ならではですが、冒頭シーンの会話と日本男の方に主観をおいていると分からない映画ですね。いずれにせよ、ロマンチックだなー、こんな恋愛してみたいです。恋愛映画として傑作。
てれびで写真展を視掛けて以来、気にはしつつとうとう行けず、 写真集を待っていたら、やはり既に出ていたらしい、らっきー。 綺麗な写真、清潔感あるヒロシマ、こんなに撮って頂いて、 有り難うございます、という感じかな、自分の生まれた歳のヒロシマ なので、嬉しさ倍増です、永久保存でしょう。 印象に残るのは、時代でしょう牛乳瓶を2本持って立っている 小さな女の子と、撮影者の写真、その他、当然当時の古い町並みが かなり面白い、こんなんだったんだなあと楽しくもあり。 時代、時間、歳月、驚きがいっぱいです。 背景のヒロシマが見たいから、映画の方にも興味ありかな。 関係無いけれど、夫がコネ?で2割引きで買って来ていたので、 更にらっきーだった・・!!!! お誕生日も近いから貰っちまおう。
原題どおり、これは『愛の映画』です。 ようやく戦争の傷が癒えかけた広島を映画の撮影で訪れたフランス人女優と日本人建築家が過ごした24時間が淡々と描かれています。 ここでは、登場人物は誰一人として名前がありません。しかし主演のエマニュエル・エヴァ、岡田栄次、そして劇中の当時の日本人誰もが、まるで白黒の印画紙に焼き付けられたように輪郭が鮮やかに感じられます。
核の恐怖が通奏低音となっている時代だからか、刹那に生きているような主人公たち。 24時間という限られた時間の中で、コルビジェ風の建築、都市の猥雑さ、水面に写るネオン、真夜中の繁華街が、ただ二人を通り過ぎていきます。惨禍から起き上がろうとしているヒロシマの躍動感とそこに横たわっている悲惨、それを包むのは文字通りモノクロームの光と影です。 その境界線で、愛が脆く起立しています。まるで、血の匂いが残っているヒロシマとフランスの無名の街ヌベールが微かに繋がっているかのように。
当時も今も、世界は矛盾に満ちています。 でも、この映画で描かれているものは、自然も、人間も、何もかもが、美しい。
初めてこの映画を観たのは、大学の講義でした。授業、という環境も影響したのでしょうが、その時はえらく退屈な映画に感じて、眠ってしまった。その直後、テレビの深夜で同アラン・レネ監督の「去年マリエンバードで」を観て、訳が分からないのだが、詩的な台詞のたたみかけと圧倒的な映像の美しさに打たれてしまった。映画の中に真の芸術性を視た、と確信した瞬間でありました。 同じ頃夢中になって聴いていた、ジョン・フォックスのウルトラヴォックス(第1期)時代に「Hiroshima Mon Amour」という、本作をモチーフにした曲があることに気づき、興味深々になって聴いてしまいました。アブストラクトな調子が強いウルトラヴォックス時代の中にあって、ロマンティックなメロディーの、美しく切ない曲。何度も聴き入って、そして、もう一度この映画を観直してみようと思いました。結果は・・・「美しすぎるじゃないか!」だって。人間ってホント現金ですよね。
アラン・レネの作風は、他の映画には視る事ができない、独特の「アラン・レネ言語」ともいえる映画文法で創られています。それは文学よりも、絵画、それもシュールレアリストたちの感性に近いような印象を感じます。なので、本作の魅力は言葉で表現するのは難しく、強いて云うなら、理解したり、解釈するよりも感覚的に「感じる」作品のようではないかと。「反戦」というテーマが横たわっているとしても、この映画を支配しているものは、何か個人的な「感情」のような気がする、のです。
難解な文学作品が、ある人の、たった一言がきっかけで突然氷解したり、とっつきにくかった音楽も、その背景にある思想や歴史などを知る事で、急に興味をかき立てられたり、という体験は誰しもあると思いますが、自分の場合は、ジョン・フォックスの音楽がこの映画への道案内を果たしてくれた、という事なのです。
ジョン・フォックスは、学生時代にデザインを学んだ人でもあったので、アートへの感覚は際立って鋭いミュージシャンです。アルバムジャケットを自身でデザインしてしまうくらいなのだから。そして、絵画や映画などに触発された曲も多く(マックス・エルンストの「雨上がりのヨーロッパ」にインスパイアされた曲も!)とても視覚的な言葉を使います。“クロマキー合成の群集がひしめく歩道”とか“グレーのスーツがたゆたう、静かなる海”といった風に都会の雑踏を表現したり。 エレクトロ・ポップスの草分け的な存在だったジョン・フォックスの音楽は、無機的でアブストラクトな印象を与えつつ、その一方でたとえようもなくロマンティックな要素も併せ持ち、それは歌詞に顕著に表れているのですが、そこが自分の心に響いてしまうのです。拙訳ながら歌詞を以下に記すと・・・
「Hiroshima Mon Amour」
気づくと僕らは、はなればなれに流されていた。 遥かな星々のように言葉を交わし、受話器の向こうにはひび割れた声。 真夏の埃のなかに、薔薇の香がたゆたう。 扉の向こうで待つのは、誰? ヒロシマ・モナムール・・・
ヨーロピアン・グレイのドレスを身にまとい、市街電車に。 エコー・ビーチで電車を降りると、そこには樹や砂に何百万もの想い出が。 ああ、忘れることはない、いつまでも。 ヒロシマ・モナムール・・・
こだまが響き渡る秋の湖畔で、僕らは出会う。 次々と辿るポラロイドの記憶、貌はガラスのように粉々に砕け散る。 沈みかけた陽が、僕らのシルエットを黄金色に染めて・・・ ヒロシマ・モナムール・・・
映画の楽しみ方は個々の自由で、自分の価値観を強要するつもりはありませんが、ジョン・フォックス(初期ウルトラヴォックス)を今まで知らなかった方で興味を持たれたら、この曲を聴いてみる事をオススメします。また違った視点でこの映画が楽しめるかもしれません。
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