誰もが「自分がケインだったらどうしただらう?」と考えさせられる。かなり勇気がいる決断である。
正義感と使命感に燃えるケイン役をオスカー俳優ゲーリー・クーパーが演じる。作品としては“時計”がとても気になる嫌な小道具として何度も映り、“汽笛”の音と合わせて恐怖心を誘い出している。
西部劇なのにこれほど銃を抜かない作品は珍しい。不満としては悪役があまりにも弱すぎるのが難点でした。それよりも、ゲーリーとグレースの名優の共演だけでも見る価値は十分にある。1953年
アカデミー賞7部門にノミネートされ、うち4つのオスカーを受賞した名作です。テーマソングでもあるテックス・リッターの“High Noon(Do Not Forsake Me)”がとても情緒豊かに流れ、さすがアカデミー受賞曲に相応しい良い曲です。
最後に自らバッジを捨て、町民の前で無言で町を去るシーンがこの作品の言いたいことの全てだと思います。
もう50年以上前の映画だが、いま見ても独特の緊張感があり、単純な勧善懲悪ではないリアルな西部劇で、ゲーリー・クーパーがじつに渋くてかっこいい。上映時間は一時間半くらいだが、映画もほぼそのリアルタイムで進行する。当時としては実に斬新だったが、いま見てもまったくと言っていいほど色褪せていない。結婚して引退というときに、昔逮捕した悪党が復讐のためにやってくる。いったんは逃げようと思うが、逃げ切れるものではないと腹をくくり街に帰ってくる。当然、みんな助けてくれると思っていたら助手も含め、誰一人助っ人になってくれないばかりか、判決を下した判事まで逃げる始末。恐怖に襲われるが、一人で立ち向かう決心をする。こうしたプロセスでの心理的な変化を表情で演技するゲーリー・クーパーが秀逸だ。地味であっけない決闘シーンもかえってリアルさが増し、本当の決闘というのはこういう感じなのだろうと思わせられる。人間というものをリアルに描いた西部劇の傑作として不滅の映画といえる。
保安官のゲーリー・クーパーは結婚して町を去る、ちょうどその日に、4人の無法者が仕返しにくるという。クーパーはグレイス・ケリーと馬車をはしらせるが、町へもどって対決することにした。逃げないで闘いをえらぶ。たしかにこういう性分の男もいる。
もとより4対1では勝ち目がない。町の人々に手助けをたのむのだが、いろいろな理由をつけて、協力しようとするものはいなかった。それもそのはずで、だれも死にたくはないし、われ関せずの態度を非難することはできないだろう。
中年のクーパーが勝てるわけないだろ、と思ったこともあったが、見直してみると、けれんみのない西部劇だ。ただ、人間ドラマというには類型的で、ひとり
メキシコ女のケイティの人間味が本作の値打ちをたかめている。彼女がいなかったら、平凡な西部劇になっていた。
この映画の見所は、ゲーリー・クーパーの渋い演技とテックス・リッターの特徴ある主題歌にある。クーパーの演じる主人公は、西部劇に有り勝ちな拳銃の名手でもなければ派手な立ち回りでもなく、勿論撃ちあいはあるものの、危険にしり込みする町民に裏切られ、一人で悪漢に立ち向かわざるを得ない羽目に陥った孤独な保安官として描かれている。刻一刻と近づいてくるクライマックスが、柱時計の振り子の動きと共に緊張感をいやがうえにも盛り上げる上級の演出となっており、フレッド・ジンマンの手腕が光る。ディミトリー・ティオムキンの名曲も、インディアンとの混血であるテックス・リッターの特徴ある歌声によって、聴衆の心に伝わってくる。歴代西部劇のなかで、第一級の出来栄えと言える名作である。
映画を見るように、しかもそれよりはるかに詳しく、引き込まれるように一気に読了した。一本の映画に、これほどまでの背景とドラマがあるのだとは思いもしなかった。「赤狩り」の狂気、作曲家ティオムキンの決断、監督ジンネマンの運命観などはじめて知ることができた。米国大統領に好まれる理由もよくわかった。
膨大な資料をよく整理し、細部に至る考察がよくなされている。構成も緻密だ。
「真昼の決闘」は過去に見たような気もするが、本を読んで思わずもう一度見たいと思った。