特に遠藤郁子の演奏に限ったことではないが、
ショパンの前奏曲は全曲通して聴くと、まるでひとつの長い曲であるかのような気がしてくる。少なからず、前奏曲を演奏しているピアニストの方々は、そんな気持ちで弾いているのではなかろうか。もちろん、全ての前奏曲を美しく弾いてくれることが前提だが。遠藤郁子はそれができている。
遠藤郁子は、
ポーランドの美しい古都クラクフ(蒙古軍が攻めてきた歴史がある)で20歳から5年間を過ごした。よき師に恵まれ人生観はこの地で培われた。
ポーランドの悲劇の歴史、
スラブの民に特有の民族性、「ジャル」−静かな悲しみの気分、日本語でいえば「もののあわれ」。
そして、
ポーランド魂という「決して屈服しないぞ」という精神である。
その後、
パリで7年間ラヴェルの権威に師事した。
ショパン演奏の
ポーランドスタイルも
フランススタイルも恩師のスタイルを盗むことで身につけた。
「正統的な」、「錬鉄のようなテクニック」といわれ最高に輝いていた。そしてそれは、40歳になって、「自分は日本人以外の何ものでもない」と気づく時まで続いた。西欧や東欧の名ピアニストたちの<そっくりさん>に終始していた自分の音の虚しさ」に気づくまで。
そしてそれは、「生とは、何か?」という究極の問に通じていく。
それからは、「内側についた眼」で日本を見つめ日本人、故郷である北海道人としての自覚を深めた。腰痛を境にしてピアノを弾く時の胸中心の西欧スタイルを捨て、日本古来の丹田中心にした。それは、日本人にとって合理的であり「整体」を学んだことによりわかった。着物で演奏するのは乳がん手術後それが一番楽であるからである。
乳がんを契機に「我欲を含め全てを捨て去ること」にし離婚した。
一度死ぬと全てが幻となった。この世の「見えるもの」を全て捨て去った。縋るものも「断ち切った」。
全ては、表裏一体であり、「天悪偽」である。
「元気な花を買うよりも店頭で弱って捨てられている
鉢植えを買ってきて元気になるまで育てるほうが喜びを感じる」という言葉があるが突然、別の世界が開けたように感じた。
無一物の勁さと慈悲がある。
CD(60分)付き。
ショパンの遺作 ノクターン嬰ハ短調は、一音がまるで香りが立ち昇るようで、生きていることを喚起させる音質である。著者のいう音霊である。人工的な嫌味がない。
オギンスキのポロネーズイ短調も。
ピアノは、スタンウェイ。
一般によく耳にするようなポピュラーなプログラムではないですが、
ショパン好きならおなじみの曲ばかりです。
人によっては「重い音」と感じるかもしれません。しかしそれだけ人の心に影響を与えるすさまじい演奏だと思います。
遠藤氏の
ショパンの世界・・・外国の方が聞くと今までとは違った「和」な
ショパンの世界がみえるはず。他のピアニストの演奏とははっきり一線を画した彼女のスタイルが伝わります。どっぷり浸かれる事間違いなし!!!
戦場のピアニストで使われた曲も入っていますがすごいですよ。
私は、彼女の全霊をこめたこの演奏がとても好きです。
遠藤郁子という人の勁い思考を書き留めて置きたい。
ピアノに熱中しているときは、頭の中がオタマジャクシで満杯になる。脳の右側がとびだしているように感ずる。
原稿書きに集中すると頭の中は「文字が躍っている」感じになる。左の脳がとびだしているように感ずる。
二つのことを並行してやることが絶対出来ない。
ピアノを弾くときの体と精神、ものを書くときの体や頭の使い方、精神状態が別々に存在するのではなかろうか。
乳がんからの再起を契機に衣食住全部を「洋から和へ」徹底的に切り換え能、茶道、華道、日本人固有の体の使い方ー動法を学び貪欲に吸収した。日本人である自分の足許をどんどん掘り下げ始めた。「日本古来の知恵」は、新鮮で毎日が驚きの発見、また発見の日々だった。
小学生のひろちゃんは、過ぎ去ったすべてのこと(白血病)を「ありがとう」と感謝し、そしてこれから来たるべきすべてのこと(死)を「はい」と言って受け入れ逝っていった。
細川ガラシャの辞世、「散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」をわかっていた。
この辞世は、副題の「みえるもの、みえないもの」のように著者の云う「表裏一体」である。
余談であるが、ガラシャの辞世には驚いた。
というのは、良寛の辞世と云われている「うらを見せおもてを見せて散る
紅葉」がどうしても解せなかった。二見相対=二人連れで悟った人のものとは思えない。
どうやら、良寛がいまわの際に谷 木因という人の句「裏ちりつ表を散つ
紅葉哉」を貞心尼に呟いたのを整えて「蓮の露」に記したのが真相らしい。これで、腑に落ちた。