読みはじめたとたんに密度の濃さを感じる。とば口にしては濃すぎないか? この7年間、同ジャンルの別の作家のものを読みすぎたせいかもしれないと 思った。
ところが、密度の濃さに慣れたと気づいたときには、もう横山ワールドにいた。 あっという間に連れ去られていた。流れるストーリーにぐいぐい引っ張られて、 読んでいるという意識すら忘れていたのだった。
今回、登場人物は多いが、まるで以前から知っているような錯覚を覚えるほど、 彼らの思いが手に取るように伝わってくる。対立する立場や考えでありながら、 どちらの言い分にもリアリティという筋が通っている。だからこそ、彼らが 織り成すドラマが、絵空事でも他人事でもなく、わが身に降りかかったことと 感じられた。
作家の想像力(創造力)を思い知らされる作品である。なにもないところから 現実以上のリアリティを紡ぎ出すとはこういうことかとあらためて驚かされる。
読了した充足感のなかには、至福の時間が終わってしまったことへの寂しさが つきまとう。旅は準備しているときからすでに始まっているとよく言われるが、 ならば、横山さんの次の作品を待ちわびることも、再びやってくる至福の時間 を夢想し、心が浮き立つのを感じる、幸せな準備段階ではないかと思う。
どうか体調に留意されて、ご自身の納得する作品を書き上げていただきたいと 心から思う。ファンはあなたの小説を何年でも必ず待っているのだから。
4話の短編ストーリーが観れる作品。どれも物語は細かな所まで丁寧に作られていて、とても観やすかった。それ程、現実とかけ離れたストーリーでないのが、怖さを引き立ててくれました。しかし個人的には買う程ではないな…借りてハズレなし…ということこではないでしょうか
事故発生から20年が経っても、未だ風化することなく日本人のこころに大きな傷跡を残した日航機墜落事故。それを新聞記者という立場で体験した著者が、ジャーナリストとして書くノンフィクションではなく、小説家として書いたのが本書です。
記者という体験から、もっと生々しい描写がたくさんあるのかと思えばさにあらず。トーンを抑えることにより、反対にリアリティが増しています。日本人のほとんどが未だに覚えている事故を小説にするわけですから、余計な煽りやセンセーショナルな表現は不要だと言うことでしょう。そしてその判断は間違いなく正しかったと本書を読み終わった時に感じました。
日航機墜落から、もう長い年月が過ぎてしまった。 ニュースで遺族の方が高齢化していて、山に登れなくなっていると聞いた。 でも、若い世代が風化させないよう、意志を引き継いでいるとも聞いた。
この映画も、事件を風化させないためにという意味合いで創られたのかもしれない。 それだけがすべてではないだろうが、真相を必死で追う新聞記者や地方新聞社の姿に、どうしてもそんな想いを重ねてしまう。
未だ、なぜ航空機が落ちたのかは謎のままらしい。 このような問題は、この事件だけじゃない。 電車事故など、国家的な関わりがある機関にはついてまわる隠蔽だ。原発だってそうだ。
なぜ、人間は間違いを認めないのだろう。メンツ?権力が失われるから?
違うだろう。何より国は人、一人一人が支えているんだ。その一人一人を大切に想えない権力なんて、ただの暴力でしかないではないか。
この映画が描いた男たちの戦いを忘れたくない。 そうやって、いっかいの個人が戦っていかないと、世界は変わらないだろう。
映画には、そんな一人一人の想いがつまっているのだ。
横山秀夫のものとなると、ハードルは高い。
だから、この作品も星を4つとした。
横山作品の最もいいところは、
作品自体が濃密で、読んでいても、
自分の息遣いさえ聞こえてきそうなところだと思う。
この「臨場」では、それが薄かったということである。
それと、横山作品にスーパーヒーローは不要ではないかと思うからである。
横山作品には、事実の一つ一つの積み重ねで全体像を築き上げるところに魅力を感じているが、主人公倉石は、一を見て十を知ってしまうタイプである。
かつ、それを上からずばりと言ってしまう。
それゆえ、作品が粗くなる。
スーパーヒーロー不要の理由である。
同じ短編集なら、「深追い」を横山作品の横綱として推薦する。
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