一見難解に見えますが、よく観ると、人間味溢れる、美しくシンプルなメッセージをもった作品です。
「自分だけ恵まれていない」とか、「生きているのがつまらない」と感じている方にお薦めします。ささやかな希望を優しく心に吹きこんで、「生きていること」の美しさを肯定してくれると思います。
作品の意図は、たとえば、劇中のひとつの台詞に象徴されます。かつて天使から人間に転向した人物が、いまだ天使である主人公に、「人間はいいぞ。君も人間になれよ」と語りかけるシーンです。
つまり、死も痛みも哀しみも感じずに済む(天使は不老不死という設定)天使に較べ、人間は不条理や悲しみも甘受せねばならないリアルな世界に生きています。しかし、幸せであれ不幸であれ、「生きて」いるということの“奇跡”に対する純粋な歓びは、無限の時間を保証され、ただ人間界の出来事を超越的な立場から記録するだけの天使には味わえません。
そのことに気付いた一人の天使は永遠の生を捨て、敢えて、不条理や悲しみの手触りを求め、リアルな生へ、有限な生へと惹かれていきます。天使も人間になってしまえば、天使だった時のように全てが手に取るように分かるわけではないけれど、不運も歓びも一つひとつ自分の五感でリアルに感じ取っていくことに、まさに生きることの醍醐味がある。そんな人間讃歌の温かいメッセージを感じます。
誰かと一緒に見る際の面白みの一つは、天使と人間の対比が、どのようなものの比喩として描かれているのかを読み解いてみることではないかと思います。十人十色の解釈が出来る楽しい映画ではないでしょうか。
「ベルリン・天使の詩」の続編。 前作では天使であったカシエルが 人間となって現実におりたち 翻弄されていく様子を描いている。 前作よりも冗長で長く、少しメッセージが正直わかりにくい。 前作は時に流されながら現実を生きる人間の姿が天使と対比されて 描かれ、メッセージもわかりやすく作品としてまとまっていた。 本作は続編としてありがちなのかもしれないが いろいろなテーマを盛り込もうとしすぎて 混沌としてしまっている印象がある。 でもだからこそ 何度もみたいと感じるのかもしれない。 そしてむしろそういった少しつかみにくい 混沌とした感じがより現実感をひきたたせる。
この映画は私が一番好きな映画です。
一番印象に残っている場面は天使(ブルーノガンツ)が人間になった時、コーヒーで温もりを確かめる場面。展開は確かにあまりないかもしれません。でも生きる意味、“生”の本当の姿を感じさせられる映画でした。この映画は目には見えないたくさんの“意味”があると思います。天使である意味、人間である意味、生きる意味、様々な存在の意味・・・。
対極にあるものを考えさせられます。
「ベルリン天使の詩」や「パリ・テキサス」とはまた違う秀逸な作品。ストーリーははっきりしており、映像、音楽ともにきれいで、ヴェンダース作品の中でも完成度が高いとおもいます。ただし、やや難解。前2作のような柔い内容ではなく、なんだか硬派な感じ。やや暗い内容。
ヴェンダースは、原作のパトリシア・ハイスミスに猛烈にアタックした結果、なんとかこの作品の映画化権を獲得したということですが、いやはや、デニス・ホッパーが強烈な個性を光らせており、それをみるだけでも面白い映画になっています。題名の「アメリカの友人」はあまり全体の内容を表しているとは思えないですが、それはともかく何度見ても楽しめるという不思議な映画です。中身が濃く、とても速くリズミカルにカットや場面が変わるので、脳みそをかなり集中して見ないといけないような感じ。特に、出だしのところはストーリーを追うのが難しいですが、めげずにどうぞ。ブルーノ・ガンツもいい味出してます。
このBOXの編集意図はヴェンダーズの求める映画における「画=イメージ」の形、その希求の道程を示すことにあるのではないでしょうか? 例えば、『東京画』ですが・・・。小津安二郎が、不朽の名作「東京物語」(53)を生んでから30年後。彼を深く敬愛する映画作家ヴェンダースが、現代の東京を訪れる。小津映画ゆかりの2人の映画人との感動的な対話を通して、雑多で無秩序なイメージが氾濫する街にも、汲み尽されていない純粋な「画=イメージ」が、いまだ存在することを確信するに至る経緯が、旅日記風に描かれていくドキュメンタリー作品です。単なるオリエンタル趣味のお気楽外国人の珍道中記などではないことは明らかです。この映画でなされた哲学的思索が、次作「ベルリン・天使の詩」(87、カンヌ映画祭監督賞)で結実、それが珠玉の映像詩として世界中で絶賛されることとなると考えられます。
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