左翼運動と中国文学に心惹かれながら、日中戦争に従軍・転向した著者が20代後半で書き出したとされる代表的随筆。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しから始まるこの力作は、そのまま自分の姿を司馬遷に写したものと読むのが一般的だ。
また、盟友・竹内好が本書解説で指摘しているように、時局に恵まれずとも「世界」を書ききった司馬遷の姿を描くことで、戦時中の知識人批判を行おうとしたとも読めるだろう。
もはや、そのような文学史的意味を外してこの本を読むことは難しいのだが、皇帝や英雄、その周りの知識人といった「政治的人間」や名も無き暗殺者達などが複数の惑星系を作り出す宇宙的なシンフォニーとして司馬遷は「史記の世界」を描いた、とする説はダイナミックで、今読んでも面白い。20代でこんな本を書いたという博識ぶりには驚かざるを得ない。
なお、著者は浄土宗の家に生まれ育った関係で、三島由紀夫の葬式では僧形で弔辞を述べている。この本について三島は日記「裸体と衣裳」の中で「小説家としての氏も、最後には、この最初の認識、「腐刑をうけた男」の認識にもどらざるをえぬのではないか。」と指摘している。僕は戦中・戦後の日中関係を背負って武田泰淳は文学活動を行ったと思っているが、三島と同様の認識である。そんな武田の文学的スタート地点が、このような苦渋に満ちた文章だというのは、今の時代の両国関係を鑑みると、何か象徴的な気がしてならない。
2011年5月29日、再読。 安岡正篤氏の著書を読むうちに、思い出したように開いてみた。
「文章は永遠の命を保つが、社稷の命ははかないものだ」と、 本の帯(伊達宗義氏)にある。 歴史に学ぶ、とよく言われる。 その歴史は書物、文字によって表された記事を根底に置く。 “人生”最高の戦略本 とあるが、 なぜにこの『史記』がもてはやされるのか。
疑いと、猜疑心、権力闘争、喰うか喰われるか。 何やら物騒な雲行きである。
中島には漢学の素養があり、文章中に難解な語句があるが、読み仮名が振ってある他、かなりの注釈と地図があり、私は1ヶ月以上の時間がかかったが、本書を読み切った。
「李陵」、「山月記」など全ての小説は昔の中国が舞台になっている。中国文化に関心のある人にはおもしろいだろう。現代の感覚からは異常なエピソードも書かれている。
最も良いと思ったのは、継続的な努力、切磋琢磨の重要性について訴える「山月記」。私は高校生の時に教科書で読んだことがあったが、再読の価値はあった。
中国に現在まで伝わるお話ですので、内容に文句の付け所はありません。
中国の歴史に興味のある人には必読書だと思います。
内容も理解し易く時代を追って書かれていますので、非常に理解がし易いです。
また、全巻を通して中国の有名な人物や戦いの話しが網羅されていて、現在の人生における教科書になるのではないかと思います。死ぬ前に一度は全巻を読んでおくべきでしょう。
10代や20代の内にこれを読んでいたら、私の人生も少し変わっていたかも。
もっと早く読めば良かったと思われる本です。
若い人は悩まず、直ぐに買って全巻を通して読むべきでしょう。
史記は有名な著作である。 しかし、大概の人は列伝しか見ないようだ。 史記を全て読むことが全ての人の人生に必要、というわけでは ないが、列伝だけでも読んだ人であれば、是非、本紀・世家といった 他の部分も読んでほしい。 古く、中国や日本の知識人たちは全編読んだものと思う。 文明が進んできた(?)にもかかわらず、過去の人たちの 教養に現代人が達し得ないというのは、イビツな気がする
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