平易なフランス語で書かれており、語学の勉強にも良いかも。 声楽家の発音は正確ですものね。 セリフの中で印象的なのが「prend garde」という言葉。 カルメンがホセにちょっかいを出すときに使えば「私に惚れられたらご用心」であり。 傷害で捕まったカルメンを逃がす前に、ホセがカルメンに注意を促す言葉であり。 闘牛士に嫉妬したホセが、カルメンに懇願する言葉であり。 軍を脱走しアウトローになったホセに、"運命"が最悪の結末を警告する言葉であり。 ジプシー仲間が、カルメンに別れた男・ホセが来ていることを警告する言葉であり。 繰り返されるごとに警告の内容は深刻さを増し、ついには警告通りの結末を迎える。 ホセは悪女カルメンに翻弄される好青年の話かと思いきや。 ちょっぴり利用されたのにも気付かず、ストーカーに変貌する主人公のお坊ちゃん。 "純真な少女"ミカエラがまた曲者で。 「このキスはあなたのお母様からあなたに渡すように頼まれたの」とか 「お母様が死の床で呼んでいるから私と一緒に帰って頂戴!」とか。 母の権威を嵩にきて主人公を自由に動かそうとしていますが、どうも怪しい。 漫画「ハッピーマニア」に登場した「夫の浮気相手のマンションの出入り口で、夫が出てくるのを待つ女」の行動にも似た"最も計算高い女"。 ホセ亡き後は、「失った恋人を嘆く女」の役割を演じ、「気の毒な女性を慰めたい、恵まれた男性」と結婚していそうな気がします。
85年にグラインドボーンでロンドンpoで収録されたDVDです。 アルコーア版での上演で、ストーリーの流れも判りやすいものです。 カルメンのマリア・ユーイング、ミカエラのマリー・マクローリン等出演者も豪華です。 特にマクローリンのソプラノはとても美しく感じました。 対訳付のブックレットや大まかな人間関係の説明図など初めてでもわかりやすいDVD&BOOKです。
幼い頃、見た映画「二十四の瞳」の大石先生を演じた高峰秀子の凛とした美しさに憧れたものであった。その後、読んだ自伝『わたしの渡世日記』(高峰秀子著、文春文庫、上・下巻)では、その歯切れのよい達意の文章に驚いた。ところが、私は高峰の極一部分しか知らなかったのだ。『高峰秀子の流儀』(斎藤明美著、新潮社)を繙いて、このことを思い知らされたのである。
高峰秀子の生き方の何がそんなに凄いのか。「天才子役」から「大女優」として55歳で引退するまでの50年間に300本を超える映画に主演し、人気を保ち続けたことが凄いのか。小学校に通算しても1カ月足らずしか通えなかったのに、見事な文章を紡ぎ出すことが凄いのか。十数年に亘り高峰と夫・松山善三に身近に接してきた著者が、敬愛する高峰の驚嘆すべき生き方を丸ごと、この本の中で開示している。
高峰秀子は「動じない」――著者の質問に「私は考えても仕方のないことは考えない。自分の中で握りつぶす」と答えている。だから、高峰は何事に対しても平常心でいられる。どんな局面においても冷静で適切な判断ができるのだ。「絶対に女優はイヤ。深い穴の底でじっとしていたい」というのが高峰の願いだというのだから、驚かされる。
「求めない」――今や、一歩も外に出ず、誰にも会わず、インタヴューや執筆の依頼も頑として受けず、三度の食事の支度以外はひたすらベッドで本を読む日々。これが85歳の高峰の現在の生活だという。華やかな映画界で長く過ごしながら、その魔力に幻惑されなかった。多くの女優が後生大事にする自分の業績に対して、いとも簡単に「興味ない」と答えている。高峰にとって重要なことは、映画賞をもらうことでも、目の色を変えて金を稼ぐことでも、日本映画史上に名を残すことでもなく、ただ、大切な夫と日々の暮らしを自分流に快適に過ごすことなのだ。
「期待しない」――著者は、「高峰はつくづくと不思議な人」と述べている。大女優なのに、虚栄、高慢、自己顕示、自惚れ、これら女優の「職業的必要悪」を全く持っていないからである。著者は、高峰が愚痴の類いを口にしたのを、ただの一度も聞いたことがないと言う。それは、高峰には端(はな)から愚痴の種になる「期待」そのものが存在しないからだ。
「迷わない」――迷わない人、決断力のある人は、自分の中に揺るぎない己の規範を持っている人だ。5歳の時から大人の中に交じって働いてきた、言わば「子供時代を奪われた」一人の少女が、その目で、じっと人間を見、物事の有様を見つめ続けながら、人にとって本当にすべきことは何か、してはならないことは何か、何が美しくて何が醜いのか、つぶさに見て、学び取った結果だ、と著者は考えている。
「変わらない」――高峰は、変わらない。決して翻意しない。前言を翻すこともない。不動の価値観を持っている。
結婚した時、高峰は大スターで、松山は1歳下の名もなく貧しい助監督であった。高峰のこの選択も素晴らしいが、その後、半世紀以上、今日まで、価値観を共有し、尊敬し合って仲良く暮らしてきたことがもっと素晴らしいと思う。
写真集『高峰秀子――高峰秀子自薦十三作/高峰秀子が語る自作解説』(原田雅昭編集・高峰秀子特別協力・斎藤明美監修、キネマ旬報社)では、各映画の高峰秀子の美しさをじっくりと堪能することができる。彼女自身が語る出演作の裏話も興味深い。
「時には母のない子のように」で一世を風靡したカルメン・マキの音沙汰が聞こえなくなって、なんやらロックをやってるらしいということで、当時、同志社大学の学際に見に行った。共演が頭脳警察(なんという組み合わせ!!)、両方感激して帰って来たのですが、やはり「私は風」のはっちゃんのギターは強烈でした。カルメン・マキのシャウトする声の質もハード・ロックにあっていたし、風貌も時代にあっていました。他にも出来のいい曲が入っておりますが、やはり「私は風」でしょう。
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