女優としての上戸彩っていうと『あずみ』で太腿出していたり、CA役でキャぴついてる印象とかが強くて好きじゃない、というかむしろ積極的に「嫌い」の範疇に入る女優だったんだけど、いまさら約4年も前の作品を見て印象が変わった。
というか、本来『金八先生』では性同一性障害、『高校教師』では境界性人格障害、といったように内面まで含めた高度な演技力が要求される役を十分にこなし、自分もそれらをちゃんと見ていたはずなのに、『あずみ』とCAのイメージがあまりに強くなって彼女に負のバイアスがかかり過ぎていたことに気がついた。
私に「嫌い」とのイメージを十分に植え付けるだけの「演技力」、それこそが女優・上戸彩の実力の高さを裏付けるものなのかもしれない。
私は綿矢りさが好きなので、最後まで一気に読めましたが、 設定から展開から何か古臭いし(アイドルがスキャンダルで崩れてく話? それに猥褻映像流出なんて珍しくもなんともないです)、 未整理であったり放置の部分も多々あり、 お世辞にも完成されてるとは言えない作品でした。
前作郡のような、傷付きやすい10代のモソモソした一人言みたいな境地から、 新たにどこかへ飛び立とうとして、墜落してしまったんだなーという感じ。
この人はこの人なりの世界観が絶対あると思うのですが、 それはこんな社会派もどきみたいな作品にはない。
変に大衆に迎合せず、また昔のようにノビノビ書いて欲しいです
「あんたにゃ人生の目標がないのよ」
朝子は登校拒否を始めた。母親には内緒で。学校に行くと見せかけ、母親が仕事に出たのを計らって家に戻る。そうして、何もせず、ぶらぶらとした生活を送っていたところ出会った賢い小学生、青木かずよし。彼は朝子に、あるネットビジネスの話を持ちかける。ボロ儲けのその商売とは…風俗チャット嬢。かずよしは、ネクマ(ネット上で性別を偽るヒト)としてチャット嬢をやっていて彼が学校でいない昼間、朝子に変わってほしいというわけだ。押し入れに隠したパソコンでカチカチカチ…と、キーを押し日常会話から時には淫らな会話まで訪問してくれたお客さんと対話する。
朝子の無茶っぷりと、12歳にしては大人過ぎるかずよしの、二人のやりとりには純粋な可笑しさがある。彼らを取り巻く環境・人間は単純でいて独特で、奇想天外の展開は非常にテンポよく、あっという間に読めてしまいます。
そして、一見、何の共通点もない朝子とかずよしですが、二人はココロの奥に同じような悩みを抱えていることが徐々に感じられてきます。
朝子は17歳。人生の目標なんて、まだ見えなくてもいい歳だとさるきちは思うんだけど、冒頭の母親のセリフはキツイ。家族ともなれば、遠慮もなく、思ったことをすぐ口にしてしまいがちだけど、何気なく発した言葉が子どもにとって致命的な損傷になることだってある。彼女らは動揺し、深く傷つき、目標を見つけようと奔走したり、
もしくは、現実逃避したりしてしまうのだろうな、と思う。
表現することは正しい、でも、その表現方法はたくさんあるんですよね。著者の次作が楽しみになる一冊でした。
文句なしに面白い。 随所で笑えるだけではなく、いろいろな伏線を巧みに配置して、クライマックスに持って行くストーリーテリングの冴えは、ただ見事という他はない。 しかし、面白く巧みなだけの小説なら、他にくさるほどある。 ここに収められた2篇が卓越しているのは、その上品さだ。 「かわいそうだね?」の樹理恵ちゃんも、「亜美ちゃんは美人」のサカキちゃんも、人間として実に品がいい。その品のよさは日本語では表しにくく、英語のディーセント(decent)という言葉が最もあたるような種類のものである。 大江健三郎賞を受賞したが、大江も「ディーセントな人間」を高く評価していた。 上質なエンタテインメントでありながら、根源的にディーセントであるがゆえに、平凡なヒロインたちが、その欠点も弱さも含めて、いや、それゆえになおいっそう、崇高な存在にすら感じられてくるのである。
上戸彩主演の「DVD」という観点でみると、作品の内容は「あずみ」やドラマDVDに若干劣る。しかしながら、大きなシール・インストール番外編・番宣収録などの映像特典はもちろん、トップメニューの精巧さや、メニュー画面に映った朝子を自分で回せるなど、商品としての完成度は非常に高い。これはあずみの長時間メイキングに劣らない。 例えば金八。あんなにすばらしい作品であっても、紙の箱・同じケース・メイキングなし・チャプターが粗い。これでは本当に映像を購入しただけで、DVD(商品)を購入する際のメリットが感じられない。 あずみのメイキングを最初の基準として考えていると、今回のメイキングは監督の彼女に対する絶賛のインタビューが少なかったところが残念ではある。だが、劇場で見た・近隣で公開してなかった方にはスタンダードよりもこちらをオススメする。 インストールはDVDになってこそ、作品としての価値が高まるように思えた。
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