多分、全て初めて読む作品でした(記憶が…(汗)。
どれも素晴らしい作品ばかりでした。教科書に載るような作品に、こんなに心に深く突き刺さるものがあったなんて。大人になった今だからこそ受け止められるけど、学生時代に読んでいたらどう感じただろう?というくらい重いものもあります。
タイトルに『教科書』なんて入ってるし、佐藤雅彦さん編だし、なんとなくとっつきにくく感じる方もいるかもしれませんが、大人だからこそ読みたい、珠玉の短編集だと思います。
豆腐屋の四季 松下竜一 講談社文庫 1983
読んだものは2000年12刷
初出は1969年講談社、前年に自費出版
40年前の作品である。松下さん(1937−2004)の自叙伝であり初作品。
6人兄弟、姉1人と弟4人、19歳の時に母(46歳)を失い進学を諦め家業を継ぐ。
自らも生後間もなく高熱により右眼を失明。その後も病弱のまま人生を歩むことになる。
弟らの自堕落な生き方に対する不安や苛立ちで自死を覚悟するが末弟のためにと留まる。
読書だけが趣味だった松下が25歳で短歌作りを始めたことで生きがいを見つけ出す。そして遅い青春を迎える。
読んでいてどうしてそんなに苦労するの、頑張るのと胸が苦しくなる。日々の労働に追われていながら短歌を詠み、近所の自然に鋭い観察眼をもつ。弱きものへの限りない優しさが伝わってくる。
この作品の後の大活躍と言ってもよい松下竜一の生き様の原点がここにあるのだろう。
底ぬけビンボー暮らし 松下竜一 筑摩書房 1996
豊前火力発電所建設反対運動を契機に市民運動をはじめ、この運動の機関紙「草の根通信」が1973年に創刊された。本書はその1990年7月号から95年6月号に掲載された文章をおさめている。 「豆腐屋の四季」はTVドラマ化もされたほどの作品であり、また他の作品も版を重ねたものもある。それなのに貧乏なのである(笑) 「暗闇の思想を」などを読むと、どうしてここまで苦労して利他的に戦うのかという単純な疑問が浮かぶ。生活すべてを市民運動にささげて行く過程には多くの葛藤や苦労があったことが明らかであり、またそれを支えた家族、特に奥様の力なしには成しえなかっただろう。本書はそんな日々の暮らしの中のたわいもない事、されどとても大切な当たり前の事を読者に語りかけているようでもある。ご夫婦で毎日一時間以上かけて犬と一緒に出かけるお散歩。カモメにパンを与えるお二人の姿がキラキラと目の前に現れます。 常に右肩上がりの経済成長を続けていた70−80年代にすでに成長を終えた日本の将来を見据えて日本人の生き方を真剣に考えた一人の作家が居たことを教えてくれます。
松下さんは、大分県中津の人。高校卒業後、母親の急逝により家業の豆腐屋を継ぐことに。それまで勉強と文学だけの青年が実社会にポンと放り出される。一個一円で安売りされる豆腐を、話しもせぬ父と元旦と二日以外休みなしに毎日作り続ける、友もいない孤独な生活を14年間過ごす。
1969年、その生活を描いた「豆腐屋の四季」を自費出版すると緒形拳主演でテレビドラマ化。一躍文壇デビュー。
しかし、時は、田中角栄の日本列島改造論に湧く70年代。大分、山口、福岡に及ぶ瀬戸内の海岸線をすべて埋め立てようとする「周防灘開発計画」に反対する為、その中核となる地元大分県の火力発電所建設反対を表明。
するとそれまで、学生運動もせずに地元の家業を継ぎ黙って働く現代まれに見る「模範青年」と目されたのに、一気に中津の発展を邪魔する「非国民」と呼ばれるようになる。 九州電力を訴えるが、勝ち目がないとして一人の弁護士もついてくれない。
その後も、反戦、反核、反原発へと草の根レベルでの活動を続けながら、地元中津を拠点に多くの記録文学を残して行く。
熊本の下筌(しもうけ)ダムの反対運動の中心人物でその砦「蜂の巣城」城主、室原知幸さんを描いた「砦に拠る」では、久留米などの100万人に及ぶ下流域住民の洪水防止の為のダム建設推進の声に、たった一人で立ち向かう姿が描かれる。晩年60歳を過ぎて晩年の13年間、80件に及ぶ裁判の渦の中へ自ら飛び込んで行く。
その取材過程で建設省に資料提供を要求した。大分で発電所反対運動などしているから、取り合ってもらえないと思った松下さんに対して、豈図らんや極秘資料や映像まで見せてくれる対応。その理由として、「60年代当時の反対運動の記録には、必ず国も、建設省側も顔と名前の見える人間を配置して、人間対人間のドラマの構図をとっていたという自負があったのです。だから、取材にも喜んで協力できる。ところが今では、個人は、組織の顔が見えない者ノッペラボウに対して戦わなければならない。」
また、大杉栄と伊藤野枝の間にむ生まれた娘を描いた「ルイズーーー父に貰いし名は」の伊藤ルイさんは、40歳を過ぎ、両親の遺体解剖の検死報告書が発見されたことをきっかけに沈黙を捨て、「立ち上がる」。そして、亡くなるまで「草の根通信」を発信し、日本中を飛び歩いて大杉栄が果たせなかった「草の根を紡ぐ」運動に没頭する。 講演会の会場、伊藤ルイは子供を抱え、何かしたいが動けないと訴えた母親に語る。 「今はお手上げだとしても、あなたの今の怒りや悲しみや憤り、つらさ、そういうものを一杯貯め込みなさい。それがいつか弾ける日が来ます。爆発する日が来ます。いかに、たくさん貯め込んだかということが、その爆発の大きな基盤になるんです。」
大分県臼杵市風成地区のセメント工場反対運動を描いた「風成の女たち」を書いたときその本を絶版にしろと圧力をかけられる。うろたえて、「出ニッポン記」や「追われゆく鉱夫たち」の著者で同じ九州の記録文学者、上野英信さんに相談にいくと
「そんなことでうろたえるなら、はじめからモノを書くな。自分は地底で働く荒くれ男たちのことをずっと書き続けてきた。何か書くたびに、炭坑夫が酒を飲んでドスを持って乗り込んでくる。てめぇ、また俺のことを書いたな、と言って枕元にドスをグサリと突き刺す。そうした修羅場をさんざんくぐり抜けてきた。まかり間違えば刺し殺される。そういう覚悟でモノを書け。そう出ないなら書くな。」と言われ、物書きとして腰が据わったというエピソード。
はじめて、埋め立て反対運動の市民集会を企画した時、地元の共産党から、トロツキストとされて妨害されたこと、三菱重工ビル爆破事件の犯人で服役中だった大道寺将司服役囚に面会に取材のため、たびたび行っていたというだけで、皇族が大分に来るときは、地元警察の公安刑事が張り付くようになり、家宅捜索まで受けた事実が、講演の中で語られる。昔も今も変わらぬ日本の闇の光景。
危険人物とはほど遠い、市井の市民の言葉で声高なスローガンもなく、やさしく語られる反骨の先人の言葉のひとつひとつが、今の日本では、とても貴重な響きを持って胸に響く。暗闇から、小さな灯火を照らし、「歯を食いしばって、自分一人で考えろよ。他に道はないんだよ」と豆腐屋の松下さんがやさしく語りかけてくる本。 3.11以前から、この国の形に警鐘を鳴らし続けて、文字通り命をかけて戦ってきた人々のことば以外に、耳を傾けるべきものが今は見つからない。
豆腐屋の四季 松下竜一 講談社文庫 1983
読んだものは2000年12刷
初出は1969年講談社、前年に自費出版
40年前の作品である。松下さん(1937−2004)の自叙伝であり初作品。
6人兄弟、姉1人と弟4人、19歳の時に母(46歳)を失い進学を諦め家業を継ぐ。
自らも生後間もなく高熱により右眼を失明。その後も病弱のまま人生を歩むことになる。
弟らの自堕落な生き方に対する不安や苛立ちで自死を覚悟するが末弟のためにと留まる。
読書だけが趣味だった松下が25歳で短歌作りを始めたことで生きがいを見つけ出す。そして遅い青春を迎える。
読んでいてどうしてそんなに苦労するの、頑張るのと胸が苦しくなる。日々の労働に追われていながら短歌を詠み、近所の自然に鋭い観察眼をもつ。弱きものへの限りない優しさが伝わってくる。
この作品の後の大活躍と言ってもよい松下竜一の生き様の原点がここにあるのだろう。
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