かわいい女性のさそいを寸前で断るのですが本当に寸前までいって誘惑に負けない男性がいるんでしょうか
この映画が編集の映画ではない証拠に、オゾンは5つのエピソードを時系列にさからって(つまり観客が見るのと同じ順序で)撮っている。とくに3つ目とそれ以降の間には3か月のブランクがあり、主演のふたり(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ステファン・フレイズ)は本当に若がえっているかのようだ。イタリア語の懐メロを基調にして恋愛の軌跡を逆順に並べるという、オゾン流の思いつき一発アイディアで始めたところまではよかったが、5つの別のフィルムを撮るという単純な困難に途中で立ち往生したのではないだろうかと邪推してしまうのは、後にいくほど出来がよくない気がするからだ。
自分で映画も撮るヴァレリア・ブルーニ・テデスキはなかなかの演技派で、芝居の流れの中でとても魅力的な表情をするので、目を離せない。
妻の出産から逃げようとする夫の心理は、初夜に別の男と関係する花嫁の心理と同程度には、わかるような気もする。
大林監督の映画をみた後で、原作を読みました。原作を読んで改めて映画はファンタジックに作ってあることがよくわかりました。原作は、無論ファンタジーには違いないのですが、「愛するものとの永久の別れをしなければならなくなった人たちの心の行方」がしみじみと描かれているように思えました。この物語では、姉妹の姉が突然いなくなってしまい、妹の中に現れるのですが、姉妹ではなくとも愛する人を失った時、しばしば人の心に生き続ける場合があるように思います。生きている側は、忘れることが悪いと感じていますが、亡くなった側は少しづつ忘れて欲しいと願っているのかもしれません。そしてある時、その人は姿を現さなくなる瞬間がやってきます。そうやって我々は日々この世を生きているのかもしれないな、という感想を抱きました。とても読みやすく親しみやすい文章です。
淳ちゃんがついに遊び人の毒牙にかかってしまいます しかもその遊び人が淳ちゃんに本気になりかけます そしてゆらさんの妹の気持ちもゆれています
この巻でゆらさんの母親がでてきます そしてゆらさんは痴漢にあい まことの妹は遊び人にひっかかります
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