舞台設定を詳述して、物語が進む。舞台の様子や台詞回しは、江戸時代の様子を彷彿とさせるに十分でありながらも、決して読みづらくないのが不思議。心理描写がなく、セリフで進んでいるのでテンポがよいせいもあるのだろう。役者さんたちの、演技を思い浮かべながら読んでいくのも楽しい。 武士の士たるゆえんを説き、脱藩したもと親友の浪人親子おも拒絶したり(その親子の末路が哀れ)、息子松乃丞が、内蔵助の真意を見抜けず勝手に元服してしまい、諭されるところなど、舞台を眼前で観ているようである。 下巻も楽しみである。
私のような新参者がファンなどと公言すると、昔からの忠臣蔵ファンには叱られるんでしょうね。
いや、そもそも、「忠臣蔵」に軽々しく「ファン」などと付けたことで、長時間に渡ってお説教を受け兼ねません。
が、それでも、この「元禄・忠臣蔵」は、数ある忠臣蔵映画の中でも必見だとお勧めしたい。
但し、討ち入りのチャンチャンバラバラ(古いか、笑)の大立ち回りを期待される方には向きません。
大仏次郎や池波正太郎の「編笠十兵衛」「堀部安兵衛」に共感された方に向いています。
いやー、それにしても、若かりし頃の高峰三枝子は美しい女(ひと)だったんですね。
そうそう、討ち入りの大立ち回りを期待される方には、市川歌右衛門が大石役の東映映画がお勧めです。
原作は大仏次郎です。
馬琴の著作ほど読者に盛衰の時代があって、冷熱の時期をくぐってきたものはなかろう。このまでもてはやされていた馬琴作品は、坪内逍遥の『小説神髄』で勧善懲悪の戯作文学として否定された。
青果の馬琴資料に対する、まず資料の読みの恣意性を排して、おるがままの形をあるがままに読解していく学究的な姿が一貫している。改めて資料を読み直すと、かつては厭わしく思えた彼の性癖の一つ一つが、かえって人間としての弱さや正しさの証しと見え、しみじみと心に迫ってくる親しみを覚えたという。自身の好悪、感情をむきだしにして対象に迫りながら、あくまでも具体的な筆致で客観的な説得力を失わない、青果の学究的馬琴伝である。
毀誉褒貶にかかわらない、文豪馬琴に肉迫し、肖像画を描いたと言えよう。
元禄忠臣蔵は、新歌舞伎の演目。
同年には、溝口健二監督で映画化もされた。
劇の構成、筋立て、人物造形の素形はすべてこの中に入っていると判断してよいだろう。
第1編 『江戸城の刃傷』
第2編 『第二の使者』
第3編 『最後の大評定』
第4編 『伏見撞木町』
第5編 『御浜御殿綱豊卿』
第6編 『南部坂雪の別れ』
第7編 『吉良屋敷裏門』
第8編 『泉岳寺』
第9編 『仙石屋敷』※下の巻・『十八ヶ条申開き』
第10編 『大石最後の一日』
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