イエズス会というのは本書にもある通り、カソリックの中では比較的新しい(か?)修道会だけれど、にもかかわらず、ヨーロッパの新大陸貿易の波に上手く乗って、世界的に大きく勢力範囲を広げることになった。
で、本書はその背景にあるイエズス会の経済的、軍事的戦略と全く未知の異教文化に入って行く際の方法論などについての研究書なのだ。ま、言ってみりゃイエズス会のマーケティング戦略といったところだろうか。
それは確かに極めて細かく構築された戦略であり、充分に状況を見て判断し、決して「押しつけ」にならないような形で庶民の文化に入り込んで行くための方策として練られたものだった。
ただそれが「軍事的」色彩を帯びて来たとき(それは最大のバックアップスポンサーであったポルトガルの国力が傾き始めるのと時を一にする)、必要以上の警戒感を秀吉に与えることとなり「宣教師の追放令」という最悪の帰結を見ることになってしまった。
それにしてもこういった宗教の集団ですらこれだけの読み込みを行って「外交」に臨むのに、現代の日本にあって対外理解というものがどの程度までなされているのか、甚だ疑わしいものがある。
日本に初めてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルが所属していたことで有名なカトリック教会の修道会の歴史を、創設から現在に至るまで書かれた本です。 イエズス会のように世界中に広がって宣教や教育に従事している組織は、布教先の異国で土着の宗教や風習による抵抗に遭い、宣教師たちは布教のために苦心し、時には現地の信者と教皇庁との間で板挟みになって苦悩する記述が一度ならず見られました。 また、既にカトリックの地盤ができているヨーロッパでも、その規模と影響力の大きさのため、流動する世界情勢に対して常に対応を迫られて歴代の指導者たちもまた苦悩と激務の日々を送っていたようです。そして時には世俗の権力や教会内でも妬まれ、一時は壊滅状態にさえ追い込まれた時期もあったのです。 そうした一連の流れを見て、人というのは信念のためには死をも恐れない情熱の持ち主にも、その逆に自分のためなら他人を傷つけ破滅に追い込むこともいとわない者にも、その他数限りなく、どのようにもなれるのだなと思いました。
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