故郷を捨てたのではなく、故郷から捨てられるように逃げ出した男と女 その2人からなりゆきのように生まれた子供達 その息子の1人と、これまた、なりゆきのように結び付いた女 そしてその男女から生まれ、自分の血族と同じようななりゆき人生を繰り返す子供達 これが、本作品の大まかなストーリー。
終盤になって、人生論的な台詞がポンポン出てくるが、これは落語のサゲでしかないと思う。 そこに感動するのも一興だが、それがテーマなら、いくらでも先達に良作はある。
私には、この話は、むしろ、極めて落語的に感じられて仕方がない。 一つには、立川談志の云う「落語とは人間の業の肯定」というところが、本作では通底している点。 そして、昭和史を背景・ネタにしているが、庶民からの昭和史という作品ではないこと(これは、落語が江戸時代等を背景にしているが、庶民の江戸時代を描くための作品でないことのアナロジー)。 また、ストーリーの顛末は、ストーリーの結実を意味しておらず、数年後には、おそらくはまた、彼ら・彼女らはこれまでのなりゆき人生を繰り返しているだろうということ。
古典落語の大ネタは、噺家によって喜怒哀楽をもたらされるものだが、ストーリー自体は乾いたものであることが少なくないし、人生万歳とか人間って素晴らしいってな月並みな感想を持たせるものではないのが殆どだ。 私は、本作にはそうした安い感動を排したところに、八日目の蝉を描いた作者ならではの才能を感じたのだが・・・どうも、他のレビューを読むと、私が捻くれているのかなと思う(笑)。
あと、「逃げる」ということについては、いま何か分からん「みんな」や「日本」が「がんばろう」「つながろう」と何の躊躇いもなく皆に求める中で、「逃げる」権利を声高にではなく、しかし、強く持つことは意味があると思う。 「庶民」という手垢のついた言葉ではなく、落伍者や底辺に沈んだ者にこそ「逃げる」権利は実感されるべきものだし、感動とは全く違うものとして本書を読み受け止めてもらいたい気がする。
近年まれに見る大傑作でした。人の生き方まで視野に入れ、その上で物語として上質である本作は「本好き」と自称する全ての人必読です。 人と人との関係をこれほど明確に表現した書物と出会ったことがありません。みんな人間関係で悩みます。男も女も、老いも若きもみんなです。しかし、本書のナナコの言葉は我々全てに勇気を与えてくれます。ほんとその通りです。本当に大切なものをみんな探しているんです。その大切なもの探しの中で、人間関係が絡み合ってきます。下手すると我々は自分の大切なものを守ることより、ただのつながりだけでしかない大切でない人間関係を選んでしまうことがあります。 そんな選択をしてしまう迷える我々に対して、本書にはその答えのきっかけが詰まってます。本当です。考えます。 繰り返しますが、高校生以上の全ての人、必読です。
料理を作ること、食べることで その人の人間関係や内面に抱える課題が解決されていく小品です。
温かくて、ほろりと寂しくて でも読み上がりはすっきりしてます。
短くて、地味とも思える題材なのに なんでかな 人の身近な問題を扱っているからか 親身になってしまう。泣いてしまう。
短編集だけど、登場人物が次につながっていく リレー形式なのも、世界がつながっている感じがして 面白いです。
ベターホームに通ってた頃、 月報誌に連載されていたのがきっかけで、現品購入しました。
生後間もない赤ん坊を、その父親の愛人が誘拐し逃亡する逃亡譚を、逃亡を縦糸、母の子に対する思いを横糸にして描かれています。逃亡譚という性質上、どこかを大幅に削ることができないのか、時間を追うことに追われてしまっている一方で、45分の連続ドラマで正味30分強で毎回をひとつの作品として構成しなければならないために、一気に見るとエピソードを数的に盛り過ぎの感は否めません。原作を読んだ人にとっては、それぞれの思い入れにしたがって、それを軸に構成してほしいところでしょうが、それぞれの話に泣かせるところがあって、TVで見やすい作品にはなっています。DVDでも、ちょっとずつ見るほうがいいかもしれません。
ついでに、初見でとても気になったのが時代考証。NHKのドラマを見たことがほとんどないので標準がどのようなものなのかはわからないのですが、80年代のシーンで現代の意匠が露骨に現われます。現代と15-20年前を行き来させる構成なので、もっと気を配るべきです。
クランクアップ〜公開前までと‥
何かと問題のみられた曰く付きの作品。
豪華絢爛なキャストにスタッフをはじめ関係者が揃い踏み。
多くの方に "鬼才" 豊田利晃氏の手腕を今一度確かめて頂きたい。
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