この小説の中である男がこういいます「文学は人をからかうための最高のおもちゃである」と。
まさに、そう。全篇からかわれている感じなのです。
たくさんいる登場人物の名前がほとんど同じ、どこからが現実でどこからが作り話かわからない、
現在の話に過去の話が突如入ってきて時間の感覚がわからなくなる。
だから、読み進めながら物語を必死で整理しようとする。でも、それが終わらないうちに次のとんでもないエピソードが始まる。
また整理しているうちに、奇想天外なエピソードが始まる・・・これを繰り返していると、そのうち
「整理できた?現実か作り話かわかった?でも、そんなことどうでもいいよね、あんた頭カタいんじゃないの?」
とからかわれている気がしてくる。「もうどうでもいいや。細かいこと考えずに読もう」そう思った瞬間、
物語の世界に飛び込めました。めくるめく体験の始まりです。
この作品で作者が
ノーベル文学賞を穫ったことからわかるように、出版当時、世界の文学界に衝撃が走りました。
それは、今までの小説とは物語の語り方が明らかに違っていたからでしょう。
普段、ぼくたちが手にする小説はちゃんと辻褄があっているし、あっているということをよしとする。
ちょっと固くなってる"文学"を、"文学"でからかいにきたのが『百年の孤独』。
インディオの語り部の語り方で、欧米文学がずっとテーマにしてきたことを語ったような新しさがあったのだと推測します。
ぼくは、この「物語の語り方の新しさ」にとても感銘を受けました。
40年前の本ですが、読書体験がそう多くはないぼくにとって、この語り方は今も新鮮で瑞々しいのです。
Enchanting book that I couldn`t put down.
Enchanting book that I couldn`t put down.
凄い小説。既に映画(1983)化されている。VHSも以前売られていたが、いまや中古品も見つからない。最近、蜷川の舞台も上演され話題にもなったのに、あの幻想的な美しい映画がDVD化されないのは、何故だろう?この短篇を読み終えた人なら興味在るでしょ?もったいないはなしだ!スナック菓子のような
ハリウッド作品(決して嫌いではないが)ばかりビデオ屋の店頭を占める昨今、もう少し、このような佳作が陽の目を浴びる環境が整う事を望む!
キューバの伝説の
トランペット奏者Arturo Sandoval(アルトゥーロ・サンドバル)の“自伝”。
基本的に反革命の映画。 特に80年代以降CUBAを離れていった人々の心境の変化をよく描き出していました。 <アルトゥーロの奥さん・マリア・エレーラ>を通じて我々はその気持ちを汲み取ることができます。「私が外国人を招いたり、主人が好きな音楽を演奏しただけで壊れるような革命ですか? その程度ならやめたら?」というセリフが印象に残ります。
実際のアルトゥーロ・サンドバルはCUBAでカストロ兄弟の次に高級車を乗り回して、豪奢な生活をしていたそうです。 したがって、アンディ・ガルシア演じるところの人物とはかなり違うのだということを実際にアルトゥーロを知る人物から聞きました。 それが
トランペット奏者としての彼の価値を貶めるものではありませんが。 どうしても映画には脚色が付き物ですし、ドラマティックにしないと観客を呼べませんからね。 実在の人物と切り離して見なければならないけれども、非常に興味深い作品です。