三船敏郎演じる画家・青江がスキャンダルを捏造されたことに対して雑誌社を訴え、その訴訟進行にハラハラする法廷劇の要素も持った作品。青江の行動がストーリーの流れを作るので、その意味では主人公は三船敏郎と呼んで差し支えないが、黒澤監督は明らかに言論の自由の横暴を糾弾する青江の戦い自体よりも、青江の弁護をかってでた
弁護士・蛭田(志村喬)が自身の人間としての弱さを克服することができるのか、ということに焦点をあてている。蛭田のダメ
弁護士ぶりに気づきながらも、蛭田の病気の娘の純真さに触れ、あの娘の父親だからということで蛭田を信頼し、弁護を任せ、蛭田を見守る。青江の男気が颯爽として惚れ惚れします。来年こそはしゃんとした人間になるという決意を込めて酒場中が蛍の光の大合唱になる場面、その後の帰り道に青江が「こんな汚い街にもお星様は住んでる。お前みたいな悪党にもお星様のような娘が出来る。」「お前だってお星様かもしれねえんだ。」と蛭田に声をかける場面はいつ観てもいいですね。
さて、はたして蛭田は立ち直れるのか、訴訟で青江をきちんと弁護できるのかは観てのお楽しみ。一点、付言すると、誇張された部分はあるものの、民事裁判の進行に沿った法廷劇としてもなかなかしっかり構成された作品です。
作詞家でもありクラブ・オーナーでもあった著者が自らの経営していた銀座「姫」について、またその酒場に集った男達、女達について語った作品。一般の人々とはあまり縁のない銀座の夜の生態を垣間見ることができます。ホステスの壮絶な人生や客の男たちの盛衰など、全編に強く漂うのは艶やかさの部分ではなく、むしろ人の業を感じる濡れた闇の部分。実際に現場にいたもののみが語れる文学といっていいと思います。