ちょうどバブルの絶頂期から崩壊期に収録された
このイッセー尾形のスケッチの数々は、当時の時代の
空気の記録としても貴重であり、また、時代を超えて、
「人間ってこうだよな」
と思わせる、「誰も描かなかった物語」としても、
独特であり、非常に興味深い映像になっています。
「地下鉄」の、満員電車の中の人間の心理や、
「スケベ教師」の、不祥事を起こし問題になっている、まさにその最中の緊迫感、
「移住作家」の、無頼を気取る作家の孤独、
「駐車場」の、アイデンティティーの崩壊、
「勧誘」「聞いてねぇな、お前」の、一見まっすぐで、実はゆがみきった主人公など、
物語のパターンにおさまらないドラマの数々は、
普段、通り過ぎてしまうけど、そこにはこんなドラマがある、
あるいは、あったらいいな、あったりして、という、
まさに想像力の究極を見せてくれます。
これよりさらに前の、「半分
ハンガー」「車内暴力追放キャンペーン」「一億円」
なども、映像化を希望します。
バリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」
という短編集がある。
夢のような、論理性の欠落した、しかし非常に面白い本だった。
イッセー尾形の描くショートストーリーは、当然、
人物のディテールに凝っている。
人生の、ごく一部分を切り取ったかのような描写は、
基本的にはリ
アリティ一点張りで、幻想性とは無縁のようだ。
しかし、読者として、突然、ある人物の置かれている状況、
感情に飛び込む事は、決して普通の事ではない。
そう考えると、ユアグローとはまた違った意味で、
夢を見ているような感覚を味わえる。
そう、初めてなのに、どこか懐かしいあの感覚。
イッセー尾形は、自らが語るところによると、
観察よりもむしろ想像力で作りこんでいくタイプだそうだ。
この短編集を読んで、とてもそれがよく分かった。
イッセー尾形の脳を探るように読める好著。
アッという間に読める。ある。たしかにこんな人生がある。全人類に読んでほしい。しかし、糸井重里氏の解説には疑問を持った。糸井氏はイッセー尾形氏の舞台を他の演劇とは違うモノと位置付け、観劇ではなく「ただ観察する」ことが礼儀だとしている。しかし僕は、この本を読んだ限りでは、他の演劇となんら違うモノではないと感じる。フツウに楽しみ、共感し、反発するのは軽率、無礼なことだろうか。