ナルコレプシー研究者の本多 裕 先生により書かれた数少ない、この分野の専門書です。 ナルコレプシー(Narco Lepsie)とは、1880年にフランスの医師ジェリーノ(Gelineau)によって名付けられた病名です。フランス語から日本語への直訳としては『Narco = 眠り』&『Lepsie = 発作』です。 現在の日本語訳としては下記のように様々な名称で呼ばれており確定しておりません。 周囲見方: 眠り発作、居眠り病、過眠症、なまけ病(ひどいよぉ...) 患者見方: 睡眠発作、睡眠障害、過眠症、眠い眠い病 病気の症状として表れる表面的な現象だけを見ずに、なんとかこの病気の本質を表す日本語訳はないかと一患者として真剣に向き合ってみました。私の提唱するナルコレプシーの日本語訳は次の名称です。 『睡眠統制脳視床下部病』 これは脳(視床下部)の病気なのです。気合いで治すとか、そういう類のものではありません。適切な治療を病院で受け、少しずつ回復させていくものです。西暦2010年の医学では、完治方法がまだ示されていないようです。なぜなら、脳の仕組みがまだ人類には分かっていないことだらけだからです。でも悲観する必要は全くありません。現在は副作用の少ない新薬が数年前から国の承認がおり、その薬の服用で通常の生活に戻れます。地獄のような睡魔からは確実に解放されるのです。嬉しすぎます。ただ、薬代が高いのが家計にキツイですが...。 様々な解釈、異論等あると思いますが、全て認めます。ただ、この本を読むことで、脳科学と睡眠の深い繋がり、脳とは何かについても思慮したくなる一冊であることは間違い有りませんので、このページをご覧になった方に一読を勧めます。病気の内容が周囲により理解される助けになれば良いなぁと思うのです。その病気に成らないと当人以外には分からない辛さって他にもありますもんね。ではでは。
伊集院静氏36才。2年前に妻で女優の夏目雅子を失い、人生の蹉跌にも置かれていた同氏へ「ぜひ一度、逢わせたき人がいます」との先輩Kの計らいから『いねむり先生』との約2年間のストーリーが編まれる事になる。これはその半ドキュメント作品だ(フィクション部分もある)
伊集院静氏は現在仙台在住で、この度の震災でも著者自ら被災し、それに関してのメッセージもメディアへ寄せてはいるが、敢えてこの作品と無理に関連付ける必要はなかろう。
色川武夫氏が夭逝したのは平成元年であったのが、私個人はこれを象徴的に感じている。昭和は混沌こそが日本にパワーを与えていた時代であって、正邪や白黒をつけず、また問わず(それを問う余裕もなかった)それぞれの人間が、まだあるがままを生きてゆけた時代だ。このせんせいはまさに、ピカレスクを背負いながらも、混沌とし退廃的な世界を平気で行き来できる無垢な天童であった。
この作品ではそんなせんせい=彼の奔放な魅力を伊集院静=サブローの視点から存分に押さえてゆく。そこにはせんせいを、あるがままに愛し、受け容れる人々が溢れ、ある時は礼に欠き、またあるものは独占しようと、決して良い人々ばかりではないが、周囲の心配をよそにせんせいは、それをたやすく受け止めてゆく。
せんせいが好む世界は博奕(競馬、競輪、麻雀、花札)演芸、角力、ジャズ、グルメと多彩で、その当時、周囲に都度勧められはするが、小説家になる事など、自己の才がないとはねつけていたサブローにとって、視るもの聴くもの出会うものが彼の内面にかすかな変化を与えてゆく。
前述の通り、この二人の出会いはK氏に拠るのであるが、これ以上なきほど見事な出逢いとあると思う。喜びを感じる部分が近いので、二人は同じところで同じ事で愉しむことが出来たのだから。結局主人公のサブローはそれが故に、救われてゆく。せんせい以外ではそれはかなわなかったはずだ。
せんせい、と言っても何かを教えようとした訳ではないし、実際文中でも具体的に何かを教わった記述はない。ただ「感じるまま」が描かれ、「敬愛」のうちの「愛」が勝る様子が読み手に伝わってくる。
平成の時代になり、現在では日本経済が落ち込むや国民は他者へヒステリックになる一方で、善悪をとかくつけたがり、喫煙さえ悪、ギャンブルなどとんでもない風潮ーー人間の潤滑油さえ奪われかねないーー心はササクレ立つばかり。まるで社会主義国のようになってしまった。こんな時代にはこのせんせいは存在することが出来なかっただろう。読者はきっとこの作品から、今の時代に欠けたもの、失ってはならない大切なモノを見出すかもしれない。
しかし今の時代、国民一人一人こそがサブローを苦しめる『不吉な幌馬車の幻覚』を見ているかもしれないのだ。
私は『麻雀放浪記』の坊や哲と=その引用元と思わせる、色川武大が愛した芸人の坊屋三郎をかけ、主人公名をサブローにしたのだろうかーー作者はそんな心の交流を『亡き師』に対して密かに試みようとしているのか?ーーなどと私は勝手な想像をしたりしている(オモイスゴシカモシレマセン)
1985年に私は、知己の漫才師に連れられ今は無き四ッ谷のバー『ホワイト』で色川武大本人に会った事がある。このバーでは内田裕也、高橋判明などあくの強い業界人が夜な夜な集い、常に派手なケンカや何かと話題の尽きない、やはりその頃にしか存在し得ないような有名なバーであったが、この作品を読み、その時期は引っ越しの多かった色川武大が店の付近の、新宿大京町ー左門町在住の時期であったのだとわかった。そのときもあの大きな目をギョロつかせながらカウンターで彼は笑顔ではにかんでいた。
この作品では敢えて触れていないが、色川武大の死を機に、同年(1989年)から『小説家伊集院静』の歩みを決心した事実は無粋ながら記させて戴く。
こんな方に、読んでいただきたい本です。
1.睡眠障害を勉強したい医療スタッフ
2.教育や福祉の場で、睡眠の問題に取り組んでいる人
3.不眠症や過眠症、睡眠時随伴症に罹っていて、自分の病気や治療法について詳しく知りたい人
「図解入り」でたいへん読みやすい本です。メンタルカウウンセラー初心者から上級者まで使えると思います。
子どものことで気になることがあって買いました。
普通の心の病気だけでなく、子どもの心の病気もまとまっていて、
いいと思いました。文章も分かりやすいです。
だいたいの病気は載っていて、これで2000円は安いと思いました。
持っておけば、気になったときにすぐに調べられていいと思います。
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