小学校低学年の頃だったと思うが、牧野富太郎の「野草図鑑」を父に買ってもらった。夏休みの「自由研究」で「押し葉」をし、草の名を調べるために欲しかったものだった。以来、牧野富太郎の名は頭から消えず、偉大な植物学者だということは分かっていたが、それだけのことだった。
この本を読んで、この学者がどういう人だったのかが良く理解できた。土佐の富裕な造り酒屋の息子で(1862年生まれ[文久2年])、子どものころから聡明。佐川郷校名教(メイコウ)館(今の小学校レベル)で学ぶが、公教育はそこで打ち止め、学歴に全くこだわらず、一途に自然との対話のなかで植物の研究に打ち込み、日本を代表する植物学者となり、画期的な研究業績を残した。植物の画も沢山書いたが、どれも生き生きと素晴らしい。
彼は植物学者の申し子のような人であったものの、経済観念は全くなく、実家を破産させた。それだけでなく、多額の借金をつくっても、そのことに頓着がなく、家族は貧窮の連続であった。優れた研究者でありがちな破天荒な生活。しかし、膨大な借金で絶体絶命の窮地に陥りながらも、その支払いに名乗りをあげる人が不思議と出てきた。さらに、妻となり、6人の子を育てた(13人妊娠しただが)寿衛子が献身的に家計をキりモリし、かつ大正の初期から待合(渋谷)の経営にたずさわることで富太郎を経済的に支えた。さらにそのことによってつくった資金で700坪の土地を購入し、富太郎の研究の場を確保した(現在、東大泉にある「牧野記念公園」)。妻・寿衛子が書いた手紙が残っていて、著者は「一連の寿衛子の幼いが思いのこもった手紙が存在したてめに、わたしはこの作品を書くことが出来た」と書いている(p.101)。
そして「もう足かけ数年もこの素材に打ち込んで来たわたしには、彼女はもう他人のようには思えないのであった」とその心境を語っている(p.208)。効果的に引用されている寿衛子の手紙は、地味で虚飾のないものだが、それゆえに却って胸に響く。富太郎享年94、寿衛子享年55。表題は富太郎が晩年に好んで使った「草を褥に木の根を枕 花と恋して90年」という言葉からである、という。
苛酷な人生を強要された女性が、誇りひとつを胸に自律的に生きた姿を、いい文章で綴っている。 わずか4歳の時、父の罪なき罪で40年間幽閉された女が、兄から四書五経を学びつつ、自分のアイデンティティーをどう守って生きたか。 竹矢来の内側に40年いて、初めて世の中というものに出て行き「川」を見たときの感銘が美しい文章で表現されていた。 閉塞状況の中で、谷秦山という学者に、運命的な恋心を抱く。 最後までプライドを捨てることなく、66歳の生涯を歩んだ婉という女から、現代人はいろいろなことが学べると思う。
苛酷な人生を強要された女性が、誇りひとつを胸に自律的に生きた姿を、いい文章で綴っている。 わずか4歳の時、父の罪なき罪で40年間幽閉された女が、兄から四書五経を学びつつ、自分のアイデンティティーをどう守って生きたか。 竹矢来の内側に40年いて、初めて世の中というものに出て行き「川」を見たときの感銘が美しい文章で表現されていた。 閉塞状況の中で、谷秦山という学者に、運命的な恋心を抱く。 最後までプライドを捨てることなく、66歳の生涯を歩んだ婉という女から、現代人はいろいろなことが学べると思う。
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