在仏イラン人女性による自伝漫画。
ホメイニのイスラム革命からイラン・イラク戦争という激動の時代を主人公(作者)マルジの視点から描いている。
主人公 マルジ (作者)の両親は上流階級の出身で、母親が家でボーボワールを読んだりしてるかなり先進的な考えを持った家庭。
マルジはヴェールが嫌いでキム・ワイルドやアイアン・メイデンが好き。部屋に父親がトルコからイランに持ち込んでくれたポスターを貼ったり、闇市で禁制のカセットを買ったりしている好奇心旺盛な少女。革命や戦争について革命家の叔父に話を聞いたり、デモに参加したり、本を読んで、また実際の体験から身を持って知り成長していく。
モノクロのイラストの独特の
タッチは日本の漫画とは相当違うが、雑誌連載が主流の日本漫画と書き下ろしが基本のバンドデシネの違いか。日本漫画みたいに叙情的な画風よりも版画みたいなこの絵の方がイラン社会の重い現実が客観的に表現できるのでしょう。
印象的なエピソードとしてはマルジがウィーンへの留学前夜に祖母と一緒に寝るというシーンで祖母のブラジャーから落ちる花びらが暗闇に光るというひとコマ。出発前夜の不安と祖母への愛情が伝わるいいシーンでした。
この漫画はアニメ化され、今年のカンヌ映画祭に出展されたけど、イラン政府から抗議があったらしい。こういう映画祭はちょっと前に『華氏911』がパルムドールを取った事からも分かる様に政治的な思惑がかなり絡むのでしょうが、この映画がアメリカやヨーロッパで公開されたりしたら逆にイラン戦争に反対する世論が起きるんじゃないでしょうか。文化は存在自体が反権力なのかもしれません。
あと彼女の意見は西欧的な考え方を持つ上流階級の特異なものでイラン人一般の意見ではないといった見解がある様だが、そういうアイアン・メイデンを聞いたり、留学先でマリファナを吸ったりするイラン人はイラン人ではないという思考こそが「オリエンタリズム」的考え方ではないだろうか。確かに彼女の意見は最大公約数ではないと思いますが。
オルハン・パムクの『雪』とかもそうですが、イスラム系の作者の作品には外れが少ない気がします。政治と宗教と性と第3世界。
グローバリゼーションを一番肌で感じてるのは彼らなんでしょう。
ラシュディもイスラム系でしたし。
面白い漫画作品です。
ジャンルはクラシック音楽の分けになっているが、いわゆるクラシック音楽とは対極に位置する音楽ではないだろうか?音楽の体を留めない、すさまじくかっこいいノイズに圧倒される1時間余の音響体験。
作曲者はギリシア出身の現代音楽家クセナキス。数学的に配列された複雑な音を、100台のスピーカーをもって鳴らすという脅威の音響パフォーマンスを、一枚のCDにまとめあげえて聴かせてくれる。腹の底まで響き渡るような低音域のノイズ、金属質の高音域のノイズ、時折入る美しい笛の音。もはや常人の理解を超えた域に達している複雑な音だが、言葉抜きでかっこいい。感性が合えば、聴いていて気持ちよくなること間違いなし。ただその感性を持つ人はごく一部だと思うけど。
タイトルのペルセポリスとは、本作品の演奏が行われた古代イランの遺跡。ここはかつてアレクサンドロス大王に滅ぼされたペルシア帝国の都でもあった。
タイトルは、ただの演奏地の意味のみならず、アレクサンドロスに象徴される西洋的秩序すなわち西洋音楽に対するアンチテーゼ、古代の叡智への回帰といった象徴的なものを感じさせる。
さてこのCD、最大限スピーカーの音を大きくして聴くのが正しい聴き方。とにかくあらゆる音が凝縮されているので、音量を上げるほどに幾何級数的に情報量が増していくのだ。ただし近所に迷惑がかからない程度で。普通の人にはただの近所迷惑な工事の音にしか聞こえないだろう。あの部屋で一体なにをやっているんだ、と怪しまれること間違いなし。
クセナキスのオリジナルCDが一枚、それに世界のノイズアーティストがクセナキスの音源をリミックスしたリミックス盤がついて2枚組みの構成。すれっからしの音響マニアを楽しませてくれることであろう。
本書を読むきっかけは、映画でした。
「チキンのプラム煮〜ある
バイオリン弾き、最後の夢〜」(2011年仏・独・ベルギー制作、2012年日本公開)の鑑賞後、原作漫画である、本書の存在を知りました。
映画との設定・表現方法の違いや、日本の漫画との違いに興味が湧いて読んでみることにしました。
【映画との違い】
映画は概ね原作に忠実に作られていましたが、大きな違いがあります。
それは、芸術家の主人公ナーセル・
アリの手にする楽器。
映画では
バイオリンなのに対し、本書では、イラン独特の弦楽器・タール。
タールと聞いてピンとくる日本人はまずいないでしょう。
私もそうです。
そもそもどんな音がするのか…。
イスラム系の音楽で耳にする「あの音」か?
と推測はできるのですが、自信はありません。
映画の設定が
バイオリンになったのは、多くの国の人にも理解されやすいようにという配慮でしょう。
ただ、その分、本書では、「イラン色」が強く出ていて、イランの国情が登場人物のセリフの端々に出てきます(この部分には注釈付き)。
作品のテーマそのものは、普遍的なものなので、イランでなくても著者のメッセージは伝わると思いますが、主人公の心情の根深い部分で、「イラン」であることにこだわった本書は、映画と微妙なニュアンスの違いがあるように感じました。
【日本の漫画との違い】
コマ割りは、日本の作品と違い、それほど変化に富んだもの(斜線で区切られたコマなど)は、ありません。
ただ、この著者の独自の手法なのでしょうか、普通のコマは、白地に黒い描線で描かれているのに対し、過去の出来事や、主人公が頭の中で考えたことは、黒地に白い描線で描かれているのです。
これは、物語が(主人公にとっての)現在という視点を中心にしながらも、過去へ視点を移動させたり、主人公の心理描写を詳細に行ったりと、ちょっと子どもでは理解できない、逆に言うと、大人向けの作品に仕上がっていると感じられた部分です。
映画も本書も、読者が一番頭を悩ませるのは、「なぜ、この題名なのか?」ということでしょう。
両者とも結局、明確な解答は作品では示されません。
でも、そこが、本作品の楽しみとも言えます。
是非一度、自分なりの解釈を導き出してみてはいかがでしょう?
フランス製作のイラン映画『ペルセポリス』のサントラ。
オリエンタル風味を排除して、普通に情感豊かな劇伴になっているので
「イランぽさ」を期待していると面白みに欠けるかもしれませんが、
普遍的な音楽を目指した──これは監督の要望なんだそうです。
本編では意図的に「音痴」=「パワフル」に唄われていた『アイ・オブ・ザ・タイガー』(20曲目)ですが、
このサントラで聴くと、普通にフレンチポップで、すごく耳に馴染みます。
しっとりしていて、いい感じです。
オススメです!!!