トッカータとフーガBWV565は他にも7名のCDをもっていますがやはりカールリヒターの演奏はインパクトあります。でも幻想曲とフーガBWV542はヴァルヒャのほうが自分としては好きで、このCDはイマイチにしか感じられませんでした。あくまで好みの問題と思いますが・・・ 一番印象的だったのは「聖アン」BWV552!565,542、582と比べると聞く機会が少ないのですがこのCDで一気に好きな曲になってしまいました。前奏曲部分とフーガの部分いずれをとってもインパクト大でBGMで流していたつもりでもつい聞き入ってしまいます。
もともとバッハは好きな作曲家ではあったのだが、どういった訳かこれまでにまともに聴いていたのはオルガン曲位で、
近頃になってようやくイロイロと聴き始めている。
自分にとって殆ど馴染みのなかった声楽曲であり、教会音楽を・・・しかも「マタイ受難曲」を聴いてみる事の
後押しとなったのは、それが「人類の至宝」や「バッハの最高傑作」などといった、この曲に与えられた風評からであり、
この演奏を選んだのは、1958年録音のリヒター盤こそがこの曲の「決定的な録音」だというのがあくまで一般的な認識と
されている事実からで、それだけにかなりの気合いを入れて ( 買った時の金額も含めて ) 向き合ってみたのだが・・・
本当のところ、何かにつけて間に挟まれているレチタティーヴォや、CD 3枚分 (3時間17分) という
演奏時間の長さに対しては、未だに馴染めないでいる。
しかしこの曲と演奏のあまりの凄さの前に「何も言えない」というのも正直な気持ちで、
今頃になってこの偉大な曲との「ファーストコンタクトの快感」という喜びを味わっている。
いろんな意味で奇跡的な録音ではないだろうか ?
・・・ という思いは、聴く側でさえ疲労感を感じるのこの長すぎる演奏を、超人的なレベルでパフォーマンスする側の
緊張感を持続させるために必要とされた精神力の強さは、想像を絶するものだったのではないだろうか ?
そして録音された年代に対してこれだけの音質の良さというのも、まずあり得ない事ではないだろうか ?
(モノラルだが、63〜4年頃のビートルズなんかの録音の音質と比べてみると判りやすいと思う)
などといった印象からどうしても抜け出す事ができないでいるところから来ている。
このマタイ受難曲が作曲された時代背景を考えると、この曲を聴く事ができた人って当時どれだけいたのだろうか ?
「今という時代」に生きている事が、いかに幸せな事なのかとふと考えてしまった。かしこ。
リヒターのバッハの曲ではマタイ受難曲が一番好きだけれど、 このCDもとても好きです。何せ安い。それなのに深い。 日常で心が疲れた時、気が付くとこのCDを聴いていることが多いです。 個人的には5曲目のパッサカリアとフーガハ短調が良い。 他の演奏家の人のパッサカリアも聴いたけれど リヒターのこのCDのパッサカリアが、私は一番好きです。 曲が早すぎず遅すぎず、その「間」が呼吸するように自然です。 ただひたすら音楽にひたれる・・・心が真っ白になるCDです。
~ Kyrie冒頭の合唱、一分の隙もないその天上のハーモニーは、この演奏がライブであることを忘れさせる。否。この熱気、これは確かにライブによるものであろう。そして、このような演奏がおこなわれた、ということ、これは奇跡としか言いようがないのではないか? ~~ レニー/BPOのマラ9、ワルター/VPOのモーツアルト40番とともに、もし、この演奏を自分が生で聴いていたら、気も狂わんばかりに涙を流したに違いない、と思わせる、感動的な名演。~
いまさらリヒター?オリジナル楽器全盛期に 久しぶりに聞いて見るとやっぱり素晴らしい! ドイツ的重厚さ、しかも暖かいハートのある優しさ 大河の様なバッハ音楽の大きさを素直に表現されている 最近のバッハ演奏にない大事なものを感じた。 しかも初期録音のせいか初々しさもある。ところで高校生だった 私は79年の東京リサイタルで生の晩年のリヒター演奏を聞いた 最初の曲はこの2番だった。ライブCDが出ているゴルトベルク 同様 熱い演奏だった。 懐かしい!
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