待ってました!「インターステラ5555」!
8月に妹と映画館で観て以来、いつDVDが発売になるかと
ずっと首を長くして待ってました。早速予約させていただきました。
ご存知Daft Punkのアルバム「ディスカバリー」に、そのまんま
松本零士氏のアニメがついた作品で、確か2003カンヌ出品作品です。
一切台詞が無く、まるで言葉の無い絵本のようなのですが、
全ては音楽と映像が語ってくれてます。
アルバム「ディスカバリー」初めの三曲のMTVをご覧になっている方は、
このDVDをご覧になれば謎(?)が解けます。
70年代~80年代のアニメのような、どこかホッとするストーリーです。
すごく懐かしい感じがします。
(松本零士氏の作品ということもありますが・・・・)
劇場版は勿論「星5つ」ですが、
ボーナス映像を拝見していないので
一応「星4つ」にしました。
(私達の期待を裏切ることはまずないと思いますが)
因みに姉妹で2人共DVDを即予約しました。
PCで「ディスカバリー」をよくお聴きになる方、
映像も一緒に楽しめますので、かなりオススメです。
とてもゴージャスできらびやかなのだけれど、同時にどこか哀しい印象をうけるアルバムです。
まるで、閉鎖が決まった由緒ある高級ホテルで、豪華なゲストを招いた最後のパーティが開かれているような雰囲気があります。
かつて栄華を誇ったものが、終わっていくときの哀しさ。イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』というか、ルキノ・ヴィスコンティの『山
猫』というか。
その哀しさは、ポップ・ミュージックの歴史の環がすでに閉じてしまっている、という認識からきているように思います。
「インターネット後の世界では、これまで蓄積されてきたポップ・ミュージックの歴史は、時間的な重さを喪失したフラットな
データベースになる」
このような傾向は、Youtube普及後の数年で一気に加速した感があります。
その音楽が背景にもつ文脈を無視して(知らなくても)、ランダムにアクセスすることが可能な
データベース。
このアルバムは、いま音楽とむきあうときに直面するその前提を過剰に引き受けようとするかのように、過去のサウンドを巧妙に組みあわせて再現します。
もちろんポップ・ミュージックは、これまでも過去の音楽の参照をくり返してきました。それはあるときは頑固な復古主義という形をとり、
またあるときは数種類の音楽のサンプルを掛けあわせて、それまでにない新しい音楽を作りだそうという革新への意思をそなえていました。
しかしこのアルバムは、もっと醒めた手つきで音楽を扱っているように聴こえます。
アルバム発売にともなう本人たちのインタビューでは「音楽に感情をとり戻す」といったポジティヴな発言が目立っていましたが、
個人的には、この音楽からはどちらかというと諦観のようなものを感じてしまいます。
ジョルジオ・モロダーに代表される、ポップ・ミュージックにとっての真にオリジナルでワクワクするような出来事は、もうみんな終わってしまった。
いまできるのは、蓄積された
データベースから任意の要素をぬきだしてシミュラークルを生成し、それと戯れることだけだ、という、ある種シニカルな態度。
(そのような印象は、ジョルジオ・モロダーが自身の人生を振りかえる『Giorgio by Moroder』でとくに強く感じます。
彼の語りにつづいて、モロダー節のシーケンスが鳴りはじめる瞬間。明確に過去の「再現」を意図した演出・・・)
そういった目でみてしまうと、ポール・ウィリアムス、
ナイル・ロジャースといった大御所たちの召喚にも、どこか
「本物にはなれないことを承知で、本物と戯れる」という雰囲気を感じてしまいます。
あるいはこれは、過去の情報(メモリー)のつぎはぎの産物であるシミュラークルに、どうにかして「本物」の記憶(メモリーズ)を定着させようとする試みなのか。
ダフト・パンクの片割れ、トーマ・バンガルテルはインタビューで、「情報」と「記憶」の違いについて語っています。
「 ”メモリー” はデータ/情報であり、 ”メモリーズ” は同じ言葉でも”感情”がこもる。(中略)同じデータと言っても人間の視点・脳には ”感情” が入る。
この ”感情” という本質が、ロボットと人間を分ける違いであるという理解を表現したかったんだ。極限まで設計された人工知能が感情という次元を持てるのか、とかね」
長谷敏司のSF小説『BEATLESS』には、人類の知能を凌駕した超高度AIにより設計された、レイシアという少女型ロボットが登場します。
彼女の見た目やふるまいは人間そのもの、美しい少女のカタチをとっており、高度な知性を備えていますが、感情は持ちません。
人間との会話を完璧にこなし、笑ったり泣いたりもしますが、それは場の状況にもっとも相応しいと思われる反応を、計算によって導きだした結果です。
このレイシアに感情がないことを知りながらも彼女に惹かれていく、主人公の少年の葛藤が小説の核になっています。ここでは、
「 "愛" が個人の内部ではなく、人と人との関係性= ”あいだ” に発生する仮想であるならば、たとえその相手が感情をもたない "モノ” であっても、
手を携えることのできる精巧な ”カタチ” を備えていれば発生し得るのではないか?」という仮説が提出されています。
このアルバムで鳴っている、2体のサイボーグによって造りだされた過去の音楽のシミュラークルは、まるでレイシアのように完璧な ”カタチ” を備えています。
その音に "愛” や ”ソウル” を感じるかどうかは聴き手に委ねられていますが、アルバム全体はどちらかというとやるせないムードに支配されています。
夕日をバックにメンバーが演奏する『Get Lucky』のビデオで表明されていた、ポップの黄昏のなかで、レイシアの手をとって踊ることを肯定する祝祭感。
しかしそれを、失われていく「オリジナル」への憧れのムードが色濃く漂うアルバムのなかで聴くと、なにやら寂しげな色彩をおびてきます。
S.
スピルバーグ『A.I.』のラスト(ネタバレ注意)、主人公のロボット少年は2千年の眠りから覚めたのち、
人類滅亡後の世界で自律進化をとげたロボットたちと出会い、ひとつだけ願いを叶えてもらえるチャンスを与えられます。
彼は義母(人間で、すでにこの世にいない)との再会を望み、ただ1日だけ、クローンとして再生された義母と、
昔住んでいた家(コンピュータのシミュレーションで再現される)での暖かな時間をともに過ごします。そこで少年が抱いた感情は、本物か偽物か?
『Random Access Memories』は、この1日だけの夢に似た、美しく、哀しい感触をもったアルバムです。
彼らの最高傑作は2枚のライブ盤だと思うのですが、スタジオ・アルバムとしては、1st『Homework』に匹敵する名盤だとおもいます。
フランスの2人組エレクトリック・ダンス・ユニット、ダフト・パンク初監督作品。金と銀のヘルメット姿ロボット2人組「ヒーロー・ロボットNO.1」「ヒーロー・ロボットNO.2」の、ささやかな願い事と選択を、会話無しの映像と音楽のみで見せる74分。
2体のロボットはダフト・パンクの2人(中身は違うらしいけど・・・)の分身。彼らのアルバム「Human After All」のコンセプトを思い出させるストーリーです。場所は地球なのか、それとも違うのか。2人は人間にあこがれ、子供のような純粋さで人間になることを夢見るロボット。
使われる音楽はブライアン・イーノやハイドン、
ショパン。クラシック音楽と白の研究室の組み合わせは私に「2001年宇宙の旅」を思い出させました。勿論万人向けの映画ではありません。悠長な風景シーン、カメラも手ぶれも気になります。退屈かもしれません。しかし、「2001年宇宙の旅」の何も会話のないコンピュータHALのシーンのように、沈黙の背景の意味するものが私たちに伝わってくるのです。一切会話なし、顔の表情もなし。でも2人の友情は伝わってくるんですよね・・・・延々と荒野を歩く2人、砂漠で立ち止まる2人。広大な砂漠で撮影された悲しく、美しいラストシーンは不思議な、静謐に満ちた余韻です。